■2006年03月のひとりごと
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●● 複雑な仕事 ●●
もうじき、医院の少し複雑な仕事が着工します。割と大きな木造建物の医院+住宅の半分を壊し、壊したところに鉄筋コンクリート造の医院を建てる。このように書くと簡単なことのように思いますが、実際は結構、複雑な仕事です。
何が複雑かと言いますと、まず、医院を極力休まないで工事計画すること、住宅も常に使用できてどこかに仮住まいしなくて良い方法を考えることです。この二つは資金を有効に確保するために有利なことです。又、一つの木造を二つに分けた場合、耐震的な問題が生じます。古い建物であれば、又、運悪く耐震的に余り考慮されていない既存建物であれば残す建物の耐震計画も重要です。
結論的には、まず、残す既存木造の部分を独立した木造建物として耐震的に問題ないように耐震改修し、そのついでに内装改修も行います。その耐震改修は医院を休まないで済むように、住宅が耐震工事中でも使用できるように仮設廊下や仮設屋根等をうまく考え、解体する木造建物をうまく利用して、3期に分けて改修工事を行い医院の休み無しで計画しました。建設会社で設計していたお陰で工事を考えながら何期かに分ける工事計画をするのは割と得意です。
その3期に分けた耐震、内装改修工事が終わると解体予定の部分を解体します。残す建物と解体する建物の境部分を改修し、後は、簡単です。新築の鉄筋コンクリート造の建物を普通に工事し、竣工後、既存木造建物の仮設廊下や屋根を取っ払えば全体工事が終了します。
ただ、何も問題が起こらないかというと、特に電気関係は半分の建物を解体するとどこかの部屋が停電になる可能性があります。医院開業の状態で行うわけですから、その最中に停電が起きたら大変です。それが、一番心配なことです。排水、給水関係は経路がわかりやすいのですが、電気配線はどのように配線されているか掴めにくいのです。
耐震改修のようにリフォーム的な仕事は、改修規模が大きくなると仕事量の割には難しい仕事になります。既存建物の図面もない場合が多いし、図面があっても現状とは食い違っているのが一般的ですから読めない部分が多く発生します。改修中に現場の状況を見て的確に計画変更することも重要です。実際には新築より腕の良い職人でないとうまくいかないのですが、どの建設会社もリフォーム部隊はメインではありませんので新築より腕が良いことを望むのは難しいことです。又、医院が開業していれば患者さんへの問題もありますから、技術的に腕が良いよりはきちんと誠実に対応してくれる業者を選定する方が良いと思っています。それと、このような仕事は建築主の先生と信頼関係を築くことも重要な要素です。
正直、このような仕事は設計も大変ですし利益的には余り有利ではありませんが、どういう訳か、昔から難しい仕事の方が好きなのです。
了
[2006.03.05]
●● ニューヨークバークコレクションの美術展 ●●
先日、東京都美術館で開催されているニューヨークバークコレクションの美術展に行きました。全体的な説明は長くなるので省きますが、快慶の仏像はすばらしかった。ほんとに!
鎌倉時代の運慶、快慶の快慶。説明書はあまり読まないので不確かな説明ですが。一つは、90cm程度の高さの不動明王座像 快慶(伝)。左手に数珠を持ち肩の高さに素直にあげ、右手には剣を立てて持つ。右肩は剣の重さを感じるような肩のライン。油煙で黒くなった引き締まった体、特に顔が怖くてとてもすばらしい。
もう一つは、地蔵菩薩立像、40cmぐらいの小振りな立像で、体のラインがとてもしなやかで、袈裟のひだもすばらしく素直。顔は弥勒菩薩の顔のように静かな、しずかな顔。不動明王座像が外に気を強く発するのに比べ、地蔵菩薩立像は、人の煩悩をすべて吸い込んでしまうような姿である。仏師、現在の彫刻家と違う、仏教に帰依している仏師が彫った像、私にはすばらしいものでした。
後は、狩野探幽の笛吹く童子、濃淡、線の太さで無駄のない最小の筆の跡、それで上品な雰囲気を醸し出した作品、池大雅の屏風絵、伸びやかな気持ちのよい作品でした。江戸時代の作者は覚えていませんが麦畑の屏風絵、上、1/3は金ぱく貼り、下2/3が暗い線の麦に、穂の部分がほの暗い白でバランスよく配置されている作品で目を引きました。デザイン的にはとても完成度の高い作品と思いましたが、数分見ていましたが何も感じないのです。風にそよぐ麦畑、夜の闇の麦畑・・・などの感情が何も起きないのです。ただただ、美しい絵というだけ。きっと、この作者は、美しい絵を描きたいと思って書いたのでしょう。
快慶は、仏教の教えを心に刻み彫ったことでしょう。池大雅はこの人独特の伸びやかさで屏風からはみ出る勢いの絵を描いたのでしょう。江戸時代の作者は自分のすばらしい美意識を屏風に表したのでしょう。人それぞれが、それぞれの味を出した作品、見る価値はありました。
了
[2006.03.03]