2004年03月のひとりごと


Columntakabayashi


私のつぶやき 雑言集


● 今日は今年の1月1日 ●

昨日、東京医科歯科大学病院で少し調子の悪いところの診断を受けた折りに、一昨日呼吸器の調子が良くなかったので呼吸器内科にも行き「ぜんそく」と「化学物質過敏症」の件で診察を受けた。呼吸器官の調子が良くなれば私の場合は化学物質過敏は緩和される可能性があると聞き精神的に「つっかい」がなくなった感じである。

今日から今年が始まる。   少しオーバーですが?

昨年、7月末から2度ほど点滴を受けるほどの呼吸困難の大発作が生じ、それが9月末頃、化学物質が原因らしいとやっと推測できた。A1サイズのゼロックスコピー機のトナーの焼き付けの時に生じる化学物質に始まり、パソコンの排気にひどく反応し、軽い反応では質の悪いケバケバした広告の臭い、OICカーペット、最近では電気ストーブ(原因が電気ストーブ自身か暖められた床材表面の化学物質の揮発が原因かは不明)にも軽く反応した。化学物質過敏症の本を読むと樽の絵があり、ある化学物質の体内量が樽いっぱいになると微量の化学物質に対しても体が反応するとの説明書きがあり、今後どうなるのかという思いと化学物質への反応は予想できなく、又、ぜんそくより急激なので、普段の生活には全く支障がないが、去年夏からずっと体調が思わしくなく頭の中がスッキリしていなかった。家族が新しく家に持ち込む品物にも注意を払っていた。

それが、例え可能性でも呼吸器官の調子が良くなれば化学物質に反応しにくくなると聞き今日は、とても落ち着いている。人の言葉の重みは受ける人により違うが昨日は私にとってはとても重い言葉でした。

小学校の教科書に書いてあった詩でいまでも不完全ながら覚えている詩が一つだけあります。

山の彼方の空遠く 幸い住むと人の言う、我 人と・・・・・、この詩は私にとって時々思い出す詩ですが、私にとってこの詩は

山の彼方の空遠く 幸い住むと人の言う、我 人と仰ぎ見ながら進みゆく。にいつもなります。

生命的には歴然とした誕生があり終末がありますが、生き方や思いには誕生と終末はないと思っています。自分にとって喜ばしい可能性があれば、目標がなんであれ進んでいきたい。例え、途中の暗いジャングルで終わったとしても。



● 落ち着いたところで反省 ●

ここ2ヶ月ぐらいかけて、ホームページの作成ソフトを使い自分で個人的なホームページを作成した。このホームページとリンクさせるつもりでいたが忠告で取りやめた。
このホームページが私の予想以上のアクセスがあり、それを良いことに、それに乗じて個人的なものまで何でもかんでも売り込もうという「さもしい」考えが心の奥底にあったような気がする。「経済効率」と言う言葉が嫌いで、会社が考えることであれば非人間的な考えでも許されるという考え方が嫌いで会社を去ったにしては、同じ種類の過ちを犯すところであった。

前にコラムで、「音楽演奏というものは人に聞かせるのではなく、自分自身に心を込めて弾き、己の心の琴線と共鳴したときにこそ聞く者に感動を与える。」と書いたが、一流の奏者がそのようにしたときに成り立つ話である。一流かどうかは別にして、私のもので聞く者、見る者に感じてもらう可能性があるのは、数十年積み上げてきた建築というものを通してしかない。個人のホームページを作成していて、自分が建築以外に取り立てて何の趣味もないことに愕然とし、がっかりもしたが、たまたま建築設計を選んだことで、私には少なくとも「建築設計」という自分を主張できる道具があることを素直に感謝したい。
・・・だから、大事にしたい。

このホームページの材料は私のものだが、その材料を使い料理したのは私ではない。このホームページという料理に私は自分を感じるし、味も好きである。だから大事にしたい。
しかし、個人のホームページをあきらめてはいない。インターネットは使い方によっては人と人を繋ぐきっかけを造ってくれる。それなりの料理人が思いを込めて創った料理に乗じて安易にダサイ料理を一緒に出すのではなく、もっとダサイ料理なりにゲリラ的に、苦労しながら深い味のするダサイ料理を創り、出すことを考えたい。深い味のするダサイ料理であれば好まれる場所もあるはず。
とにかく、人は一人では生きていけない。楽しい出会いであれば何度でも経験したい。

いまも、私の好きな石の家の写真が前にある。こんな巨石がどうしてぽつんと存在し、どうしてこんなものを家にしてみようと「突拍子もない?」発想をし、都会の中でのパフォーマンスでもない人気のないところで、こつこつと長い時間をかけて、ひょとして何代もの人が造り続け、又、おそらく何代もの人が住み暮らした歴史があり、・・・・。この写真は一人一人の命は誕生があり終末があるけれども、奇をてらうのではなく、豪華でなくても、きちんと出来ていなくても、それなりに積み上げてきたものには一代ではなく何人もの手を経たものでも人を感動させる力があると思わせてくれる。

追伸: このコラムは私の強い希望で設けてもらった。人に読んでほしいとの思いが強かったが、このコラムは私自身が読みたいために書いているように思い始めている。自分の心の琴線に触れる言葉を書ける日が来なくても可能性を信じて書き続けていきたい。



[2004.03.22]




私のつぶやき  雑言集


● イメージ ●

昨日はアドバイスを受け考えさせられた。
実は、個人のホームページを自分で作りたいと思い結構なボリュームのホームページを不完全ながら完成させ、このホームページとのリンクを考えたがさしあたりあきらめた。

その時、頭に浮かんだキーワードは「イメージ」である。このホームページが持つイメージは自分自身の雰囲気に合っていると思うし(自信はないが)、私自身好きである。新しいホームページが加わることが「イメージ」を複雑にさせると理解したからである。

「イメージ」 広辞苑では、「心の中に思い浮かべる像。全体的な印象」とある。人にとって「イメージ」は大切なものである。うまく言えないが、例えばソニーにもつイメージ、豊臣秀吉に持つイメージ、石川五右衛門に持つイメージ、人により少しずつ違いこそすれ人それぞれにイメージを持っている。そのイメージは、そのものの正確な全体像と言うよりは特徴的な部分が凝縮されたものであるように思う。「イメージ」はイメージされる側が勝手に作れるものではなく、イメージされる対象とイメージする人との良い意味でのキャッチボウルで形作られるように思う。

ウ・・・・、何かうまく言えない。

しっかり根付いたイメージはブランドになる。
人であれ、企業であれ、全てを正直にさらけ出すのではイメージを形成できない。外に対してアピール出来る良い部分をうまくアピールしていくことが大切と思う。

しっかりしたイメージをもってもらうためには、日々研鑽し、常に緊張感を持ち、廻りからの感性視線に十分耐えられるレベルが求められる。

新しいホームページはその大切な事を置き去りにしたようである。個人的なホームページを開設したいという燃えさかる炎は鎮火したが、まだ火種は十分残っている。又、新たに再挑戦したい。


[2004.03.11]


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