■2003年07月のひとりごと
私のつぶやき 雑言集
● 自分に課した最終日 ●
今日は、毎日のコラムを自分に課した最終日である。読んでくださった方々に心からお礼申し上げます。
今日で止めるつもりはありませんが、明日からは書きたいときに書く予定ですのでよろしくお願いいたします。下記予告の設計事務所の日誌的な話は定期的に掲載する予定です。
文章を書くのは余り苦痛ではないが長く書くとやはりパターン化してしまいやすいようである。昔、建築現場所長が言っていたが、大きな壁面にもともと焼きムラ(色ムラ)のあるタイプのタイルを貼ると、同じ職人が貼っていくといくら注意しても色ムラパターンが同じになり模様にように見えてしまう。そのため、ある程度貼ると職人達の貼る場所を強制的に変えて貼らしたと言っていた。
全く同じ事が文章で起きる。パターン化である。パターン化されても良いが、その場合は、その文章の内容の深さ、正確さが必要である。簡単に書いてしまう文章にはそぐわない。最初は、そうは思わなかったが、段々、自分の知識の浅さ、無さ、不正確さに文章の弱さを感じるようになったが、急に改善は無理である。
個人的には楽しめた。又、文章を書くことにより自分の基本的な考え方をより強く認識できた。私は自分自身が好きだ。もちろん、頭が歌舞伎的な大きさではなく八頭身に近く、今の若者のように足が十分長く、顔の造作も良ければ言うことはない。しかし、今の自分でも十分好きになれる。人は、他人は相手に対して自分と同じ考え方、思考方法を強制しがちであるが、一番大切なのは自分を好きになることのように思う。好きになるため、自分を愛するために何をしていくのか、どう対処するのか考えることが大切なような気がする。自分が好きになり、自分が愛せて初めて他人を好きになり、他人を愛せて、思いやる気持ちが生まれるように思う。
自分の思い通りになることが良いことではない。それだけならば専制君主である。思い通りにならない、他人の力が強くて自分を生かせない、まだ力のない自分を、時には情けなく思う自分を、そのまま好きになる、そのままの自分を愛することが将来の希望に繋がるように思う。
私の視野は私だけのもの、他人とは共有できない。私の触って感じる感触は私だけのもの、他人とは共有できない。大それた言い方をすれば、この世界の認識は全て私だけのもの。そんな自分を大事にしたいし、これからも大事にする気持ちを忘れたくない。
このホームページは、私自身でありたいと思う。しかし、私のパソコン技術ではこのコラムしか良くも悪くも日々変わる自分を表現する場所はない。不謹慎ではあるが、このコラムは読む人よりも自分を読み手とした考えが強い。時に自慢話を書き自分で喜んでいたこともある。それも間違いなく私だから。
感謝!
予告: 8月1日頃から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.31]
私のつぶやき 住宅設計
● 設計はこうありたい ●
5月に3ヶ月間毎日コラムを書くことに決めた約束の日が近いので、設計とはこうあってほしい、自分ではこうありたいと思うことを述べたい。
建築雑誌でよく見かける、横文字と明確な定義のなさそうな難しい言葉を羅列した文章は書くつもりはない。建築と人類というような大それた話ではなく、単に人間としての感性を大事にした建築設計でありたいと思う。
例え大きな建物でもヒューマンスケールを感じさせる努力の建物を。
街の形成も昔は人間の感性と自然状況が影響した街が形成されたが、今は技術が、ブルドーザーがその必要性を無くした。若い頃、街づくりの仕事の時、平坦な広い公園の小道をどこに設計するか悩んだことがある。その時、誰かが冗談半分に、その公園を全面芝を貼りしばらく見ていれば、人が道を勝手につけてくれると言った人がいた。名言と思った。山の道もそうだが、人は廻りの状況などを判断して一番好ましい道を何人もの人が徐々に構築する。その道に沿って何かを造ればよい。植木であり、構築物を。
人間の感性とは、地球の自然環境、人間同士の環境との長い間の折り合いで出来上がったものではないかと思う。今の自然バランスを壊してそれに耐えうる新しい人類が新しい世界を築くことも考えられるが我々はそれを望んではいないはずである。
科学技術が急速に発展し、経済効率が重要視され人間が経済効率に合わせることが要求されている。しかしそれが行き過ぎると人間を、一つあるいは数種のパターンをもつ機械的な人間を標準とし処理する考え方に行き着くのではないか。自分勝手な言い分だが、私は自分の人生は少なくとも機械的な生き方はしたくない。例え、無様でも自分という他にない自分で生きていきたい。
そのような各自の感性を大事にした設計を住宅では特に目指したい。
予告: 8月1日頃から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.30]
私のつぶやき 雑言集
● 机の上の物 ●
私のお気に入りの大きな机の上には妙な物がある。
パソコンモニターの上には父母の写真。机上には、イギリス製のミニカー2台。真ん中あたりに去年の春頃購入した山吹色の直径8cmの本物のカボチャ(スーパーで購入)。カボチャは何とも愛らしい、不整形で、力強く、無骨で優しさが漂っている。そう言えば武者小路実篤がよく絵の題材にしていた。
右端には、ぬいぐるみ。この話はシークレットに属するが、「ぬいぐるみ」が好きなのである。フランス製のしゃれた「ぬいぐるみ」も良いが、うまくデフォルメしたドイツ製の「ぬいぐるみ」が好きである。以前建築主の母娘とデパートの中を通り過ぎた時に、つい「ぬいぐるみ」が好きだと言ってしまいキョトンとされたことがあり、それ以来、人には話さないことにしている。ちなみに右端にはユニセフで買った帽子を被った小型の熊がいつも鎮座している。左上の鴨居からレスラー風体の小さなサル(日本製)が片手でぶら下がり、横の柱には全身黒に黒い目にイエローのクチバシのカラスの子(ドイツ製)がぶら下がっている。後ろには、黒いシルクハットを載せ、蝶ネクタイをした生意気なアヒルの子(ドイツ製)がいる。
子供の頃、人形は一切興味がなかったが、二子玉川の輸入品が主な「ぬいぐるみ」店に行き興味を持つようになりそこで購入したものが多い。その店では、主にフランス製、ドイツ製の商品を並べていた。
私が興味を持つ「ぬいぐるみ」の条件は、おしゃれであることにつきる。単なる「かわいい」感じの商品には全く興味がわかない。その二子玉川店のオーナーの感覚は共感できた。今思うと私自身が店に行き、見て、購入したのは全てその店でしかない。残念ながら数年前この不況で店が閉店したので、それ以後「ぬいぐるみ」は買っていない。
予告: 8月1日頃から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.29]
私のつぶやき 雑言集
● 木材は好きだ ●
机は、1.8m幅、奥行1.1m〜0.7m、厚み5.5cmの不整形なケヤキの1枚板である。私にとっては高い買い物で購入5年前から目をつけていた品物、真ん中あたりに節穴があるお陰で、昔、安く白木の状態で購入し自分で紙ヤスリで磨き薄めのウレタン拭きをした。節穴も乙な木が好きな私のお気に入りの机である。
私は木がとても好きだ。したがって木造が好きで大学を卒業し某会社に入った動機は数寄屋建築の仕事もできるのではと思って選んだが調査不十分で違った。大手建設会社の設計部では木造住宅の仕事は一般的にはなく木造の図面を書ける人は少ない。私は新入社員の頃、普通の木造住宅の設計をさせてもらったこと、アルバイトで木造住宅の設計をした関係で木造図面が書ける。今でも木造は好きであるが、なぜか鉄筋コンクリート造の仕事が多い。
木材は、「タモ材」が好きで枠や建具によく使う。目が素直で美しくクリアラッカー仕上げのみできれいに仕上がる。「タモ」より少し高いが「なら材」も堅く柾目、板目とも時間が経つとなかなか良い。床材は「ナラ材」外国製では「オーク」という名前だが、よく使う。予算があえば室内の壁の広い一面のみ「タモ材」か「なら材」の練付合板を貼ると部屋が落ち着く。浴室の壁、天井には青森ヒバをよく使う。米松の柱、梁も時間が経つと鮮やかな赤みを帯び美しい。建築主が好きであれば食堂に大きな大きな造りつけのテーブルを薦める。大きなテーブルであればこちら側で親が新聞を読み、離れた向こう側で子供が遊ぶ事も可能である。
天井部分に梁や束が全部見える民家風の木造住宅を設計したいのだがチャンスがない。木造のうまい設計者はたくさんいます。吉田柱二さんは品の良い住宅、木幡さんは民家のリニューアルの大家ですし、塗り壁が魅力的な竹原さんとか、本格的な柿沼さん、おもしろい形を追求する木原さん等、建築雑誌で楽しく見ています。
造園は基本的に仕事として受けていなかったのですが、一度、庭の造園計画を依頼され、樹木の本や、造園の本を横におき設計しましたが楽しい経験でした。茶室の庭は私には無理ですが造園設計もやってみたい気はしています。
予告: 8月1日頃から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.28]
私のつぶやき 日記
● 隅田川花火大会 ●
昨日、隅田川花火大会に招かれ見学に行ってきた。二子玉川の花火大会は好きで毎年欠かさず見に行くが、隅田川の花火もここ数年よく見に行く。隅田川の花火はたまたますぐそばで観ることができるので迫力がある。ビル屋上でみるのだが、すぐ真下の隅田川の中に鉄製の筏を並べそこに筒が何本も建ちコンピューターで制御されて打ち上げられる。上空にはヘリコプターが4機程度旋回しにぎやかな花火大会である。余りに近いので花開くのと同時に体で受け止めるような大きな音が聞こえてくる。風の向きによっては煙を全身に浴びることもある。二子玉川と違い余り高く上げられないので技術的には難しい花火のようだ。難点は余りに近いので首が疲れることである。
ビール片手に焼き鳥をほおばりながら、楽しんだ夜でした。
予告: 8月1日頃から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.27]
私のつぶやき 下手な詩
● 幸せの不幸せ ●
遠い遠いところに
果物も1年中たわわに実る穏やかな気候の国があった
人は皆美しく、子供達の笑顔も絶えず
貧しいひともなく
皆、等しくいつもいつも幸せであった。
その遠い遠い国は
その幸せを抱きながら
森の中に埋もれていった。
何の不満もなく、何の欲求もなく、何の不自由のない生活は、人を怠惰にしてしまう。生きる目標はそのような状態の中ではなかなか見つからない。
何事も、ほどほどが良い。
さあ、少し不満があり、少し不自由な身、前向きに頑張りましょう!!!!
予告: 8月から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.26]
私のつぶやき 建築編
● 改修への判断 ●
最近、改修の相談を受けることが増えてきた。改修の判断、時期、方法を決定することは非常に難しい。経済状況が悪いため施工会社も積極的に戸建住宅を訪問し床下等を覗き、ポラロイド写真を撮り、床下の不具合状況を説明し修理を進言し見積もりをする業者もあるようである。
建物は10年も建つとどこかしら不具合が生じる。こまめに直すことが本来は重要であるが、なかなかそうはいかない。不具合を直すだけでは無駄な場合もある。例えば、以前コラムで書いたが、外壁に大きなクラックが発生した場合、構造的なことが原因の場合がある。柱、梁を補強しクラックが発生しないようにしてから外壁表面を直すことが必要な場合もあり、不具合の原因を特定するのは難しい。又、施工会社を信頼できるのか等々、問題は多い。
今までの経験上でどう対応したらよいか述べたい。
1.不具合を見つけたり感じたりしたら、まず、その家を建てた施工会社に相談することである。ほとんどの場合、良心的に対応してくれると思う。
2.その家を建てた施工会社が存在しない場合は、地元で信用のある工務店あるいは信頼できる知人の紹介の工務店、又、地元で信用のある少し大きな建設会社に依頼する方法もある。住宅を扱う建設会社であれば大きな会社でも改修の仕事に応じてくれる。できれば、一度小さな修理をお願いし対応が良ければ常にその工務店、建設会社に改修を依頼することが良いと思う。工事費が安い施工業者が出現したとしても常識的な値段であれば今までお願いした業者に依頼した方が一般的に良い。いつも改修の仕事を依頼してくれる建築主は業者も大事にしてくれるはずである。
3.それでも業者が見つかりそうもない場合は、住宅メーカーに依頼する方法もある。住宅メーカーは一般的にリフォームは対応する。
4.設計事務所が関わった建物であれば設計事務所に相談するのが一般的によい。
5.左官、設備業者など、各業種ごとに依頼する方法もあるが、できればいろいろな業種を束ねる工務店、建設会社に依頼する方が、他に問題が生じたときに対応ができるし、依頼先が一本化することで便利である。但し基本的には各業種の見積金額に工務店、建設会社の監理費用が上乗せされるので少し高くつくが、問題が生じたときの保険と思えば良い。
6.改修の方法、範囲、緊急度を建築主が判断するのは難しい、したがって見積もり内容をチェックするのはほとんど不可能に近い。信頼できる会社に依頼し、その内容を信用するか、何社かに依頼し見比べるかしか、余りよい方法はないように思う。
私自身は、自分が設計した建物の改修、あるいは改修設計契約、コンサルタント業務契約をした改修はきちんと対応するが、電話等による相談は基本的には対応しない。理由は、改修は新築より難しく既存建物の状況を極力正確に判断し、どの程度の改修で良いか判断しなければいけないし、見えない部分、例えば壁の中の状況等を推測して考えるしかないので話だけでは判断ができなくアドバイスは基本的に無理なのである。それに中途半端に対応することはお互い良い結果を生まないからである。
改修、改築の大変さは、4月26日の当コラムの「目に見えない部分の大切さ」を読んでほしい。
予告: 8月から3日間隔程度で、設計事務所として依頼を受けてから竣工するまでの設計事務所(当事務所の場合)としての対応、仕事内容、建築主の対応の仕方等を何回かに分けてシリーズとして書く予定です。
[2003.07.25]
私のつぶやき 建築設計のおもしろさ、怖さ
● 建築設計のおもしろさ ●
何と言っても、何もないところに自分のイメージしたある程度のボリュームのものを音楽監督のような立場で建てられる面白みである。
釘一本まともに打てないが、時代、建築主の要望、敷地の状況、予算、工法、デザイン、不測事態の時の処置、いろいろな人との調整、等々、建物が小さくても、大きくても、そのようなことを総合的にバランス良く考え実行していくことは、大変であるがおもしろい。
画家や小説家のようにはいかないが、この仕事は一人でほとんどの仕事を処理することも可能である。又、自分自身を強く打ち出せる仕事の一つであり、私は面白みとやりがいを感じている。
● 建築設計の怖さ ●
建築主の要望に応えきれないこともあると思うが、やはり、ミスである。金額的に大きい建設でのミスは損害も大きい。直接的なミスは防ぎやすいが、使用する時間が長い建物では防ぎにくい間接的なミスが怖い。
例えば、10年程度たった歯科医院の2階からの水漏れで、直下の1階のレントゲンが壊れ150万円程度の損害がでた。聞いたときは「ゾッ」とした。レントゲン室の上階の床は防水処理した方が良いのはわかっていたが、その規模では一般的にはしないし、上階のその場所には職員休憩室のミニキッチンしかない。又、予算や施工会社のレベルを考え防水はしなかった。
原因は、深夜に小型電気温水器の器具内部のバルブが何らかの圧力ではずれ一晩中水が漏れたのである。温水器メーカーの責任範疇なので私自身は「ホッ」としたが、器具すぐ外のジョイント部分が原因であれば「監理不十分」という責任は法的には成立する。しかし、いちいち設備配管のジョイント部分を全て完全にはチェック出来ないし、防水するにしても予算的には難しい。又、防水等は不具合を経験した建築主でないかぎりその費用を納得してもらうのは難しいように思う。
施工会社の施工計画通り行かない工程遅れ、これは開業や開店が決められている医院や、店の時は重大なトラブルとなる。正式な測量会社が測量ミスすることもある。大きな敷地であればチェックも不可能。しかしその測量図を信じて設計した建物が、後で測量ミスがわかり建物規模、形状に影響すれば大変である。実際考えただけで「ゾッ」とする。長い施工期間が必要な建設では施工会社が倒産することもある。これは一度経験した。
直接ミスが仮にないとしても、このような間接的なミス?がある。会社勤めの時は間接的なミスは余り気にしないで済んだが、独立した今はそうはいかない。
施工レベルから生じる不具合は小さいものも入れると数多くある。防ぐため腕の良い施工会社を使いたい。しかし、そのような会社は工事費用が高い。予算のある仕事なので、予算内でできるもっとも良い施工会社を探すしかない。
不安、怖さは、まだまだいろいろ書けるが、それでも建築設計は十分におもしろい。
それに、何の仕事でも同じようにあると思う。少なくとも医者のミスに比べれば生き死にはあまり関係しない。
[2003.07.24]
私のつぶやき 日記
● 白馬旅行その2 ●
写真は高山植物が丁度見頃の栂池自然園。
最終日は宿の廻りをゆっくり散策するつもりが少し晴れそうなので急遽栂池の自然園に行くことにする。白馬の隣町、栂池のゴンドラリフト乗り場からロープウェイを乗り継ぎ標高の高い栂池の自然園駅に到着。自然園のミズバショウ湿原、ワタスゲ湿原などをなるべくゆっくりとは思うが帰りの電車時刻を気にしながら急ぎ足で見る。こちらは八方とは少し異なり、雄大な景色と言うよりは女性的な景色で一面高山植物の緑の絨毯に覆われ、ほんとに美しいところで見る価値は十分ありました。時間を気にしながらの散策でしたが、八方は雄大な景色で十分満足しましたが栂池は美しい高山植物の群生に魅了されました。
急ぎ駅に向かい、途中、駅近くのcoopに立ち寄りブルーベリー(ジャムではない)を買い特急電車へ、人、人、人の横浜線に乗り換え帰途につく。
2泊した宿は、白馬駅から少し遠いが森に囲まれた中にある雑誌とホームページを見て決めた「グローブインスカラ」という宿で、ご主人は毎年ネパールに行くという山男、といってもごつい感じはなく物静かな感じの良い人でした。奥様、娘2人の家族経営のとても感じの良い宿で、家庭的なおいしいフランス料理を毎夕食いただきました。もし、又、白馬に来るときはここにしようと思うほど私たちにとってはくつろげた宿でした。やはりリピーターの宿泊客が多いそうで、掃除も行き届いたお薦めできる宿です。
頭の中を清涼な空気で清めることの出来た白馬旅行でした。
[2003.07.23]
私のつぶやき 日記
● 白馬旅行その1 ●
この連休は白馬に旅行した。 写真は、白馬の八方池。
八方はスキーに2,3度、栂池には一度行ったことがあるが、夏は初めてである。期待以上で、空気は澄み、人家もまばら、緑は鮮明で、田圃には苗が育ち緑豊かな大地を久しぶりに見た。スキーシーズンではないので余り人はいないし、軽井沢のようにザワザワしていない静かで明るい別荘地の雰囲気を楽しめた。
着いた日、時間があるので宿から5分程度でいけるジャンプ台を見学に行く。エレベーターで上がりまずは90m級のジャンプ台の上部観覧席からジャンプ台を見下ろすが、スゴィ!!!!。
このような場所から、途中止めるわけにはいかない急なスロープを滑り降り空中に飛び出す神経が理解できない。安全な上部観覧場所から手すり越しに身を乗り出すだけでも怖い。何メーター飛ぶ飛ばないではなく、その勇気に感服する。
そのジャンプ台の遙か先の大きな開けた空間で、パラグライダーの練習をしていた。白馬はトンビの多い所だが、トンビと同じようにゆっくりした輪を描きながら徐々に地上へと滑空している。その先にはアルプスがかすかに見える。
梅雨のどんよりした次の朝、雨を心配しながら八方池を目指しゴンドラリフト、リフトを乗り継ぎ八方池山荘のある第1ケルンに到着。そこから徒歩で高山植物を見ながら湿原コースを散策、少しきつい登りを過ぎ第3ケルンのある八方池に到着。晴れていれば雪が沢に残る雄大な景色を満喫できたと思うが、あいにくどんよりした気候。それでも明るい曇天で、霧が時々晴れ向こうに雄大な山を見ることもでき満足した。八方池を見下ろす場所でバーナーを出し熱いお茶を入れホテルで作ってもらった「おにぎり」をほおばる。幸せな時・・・・・
本当は、そこから登れる唐松岳に行きたいが妻と一緒なので昼過ぎに来た道を下山し、白馬の小さな繁華街のおみやげ屋を2軒ほど覗く。宿で夕食を取るが、泊まり客の礼儀正しい4人の若者がいて気持ちの良い日であった。
[2003.07.22]
私のつぶやき 建築編
● アンバランスな話と建築の将来 ●
東京の場合、1億円で土地を買い建物を建てようとすると、思うにアンバランスな現実が突きつけられる。例えば世田谷で割と良い地域で、土地は200万円/坪程度の所がある。40坪の小さな土地を購入しても、建築費に回せるのは2,000万円である。
2,000万円の建物といえば、ごく一般的な仕様の建物であり1億円投資したのはほとんど土地である。普通の感覚バランスから言うと、少なくとも4,000万円が土地代で6,000万円が建物に掛けられる感じが望ましいように思う。又、そのようになれば建築の将来も開ける。
経済に疎いのだが、どうして不動産がこんなに高い評価を受けるのだろう。どうして目に見えない技術やソフト(システム)が高い評価を受けづらいのだろう。もし、不動産が安ければ経済が活性化するのではないか。そうならず金本位制よりも土地本位制に近い日本は、経済が悪化するのだろうか。
もう一つのアンバランスな感覚は、私が社会人になった頃は、感覚的には人件費より建築資材の単価が大きな影響を及ぼしたが、今は全く逆で感覚的に人件費に比べれば資材は安いものである。そこに建築主は、金額と仕様(出来上がりのグレード)の思いと現実とのギャップを感じる。これは建築にとってマイナスな事と思うが、ますますひどくなりそうである。
この二つのアンバランスな感覚を是正することは不可能に近いかも知れないが、建築業界は努力して何らかの形で少しでも是正されるようにしないと、明日はないように思う。
[2003.07.21]
私のつぶやき 雑言集
● 和の静寂、洋の豊穣 ●
欧米の邸宅の写真集をみると、隅々までデザインし尽くされている。天井までも。それに比べ日本の邸宅は白壁のままだったりする部分が多い。
イタリアのウッツイ美術館を見に行ったとき、初めは「ほう!」という感じて見ていたが、途中から正直へきへきした。まるで何もデザインしないあるいは色を付けない部分があるのは罪悪であるかのように、天井までもびっちりデコラティブである。中に展示してある美術品とともに、無理矢理フランス料理を腹いっぱい食べさせられた気分になった、さらさらとお茶漬けがほしい感覚である。
この違いはどこから来るのだろう。
日本の場合は、家の廻りに四季があり、春の芽生え、新緑、夏の陰影のある日差し、秋の紅葉、冬の雪景色等々、家の廻りの自然のデザインは十分行き届いている。その自然のデザインの中の家はむしろデザインなしの姿の方が好ましいと思う人が多かったのではないか。
それに比べ、欧米では一般的に日本より四季の変化もなく、家の中に変化や豊かなインテリアをもとめることが必要になったのではないかと考える。そのため欧米の邸宅のインテリアは豊穣な雰囲気であると考えている。
[2003.07.20]
私のつぶやき 雑言集
● アメリカという国 ●
アメリカ国民は別にして、アメリカという国は昔から感覚的には好きではない。小学校6年に塾で英語を習い始めたが、その時から米発音とイギリス発音の両方がある言葉は、先生がどう判断しようが必ずイギリス発音で発音した。数年前、妻のアメリカ在住の友人の所への旅行も、海外旅行は必ず夫婦で行くが、このときは妻一人でアメリカに行った。私は、まだアメリカに行ったことはない。
昔のアメリカは謙虚だったし、嫌な思い出があるわけではない。おそらく判官贔屓的な力のあるものへの単純な反感だと思う。
食わず嫌い。そうかも知れない。?????
アメリカは、日本でいう東京と思う。少し乱暴であるが。
一攫千金を夢見て、あるいは、豊かな生活を得るために、○○県から、××県の地方から東京に集まる。そこで、夢を叶えるため必死に働く、その結果、東京は田舎の集まり(昔からの東京人へは失礼ですが)となり、言い過ぎと思うが、金を最大の目標とした活性化した特色のない混沌とした東京がある。アメリカは、その世界版ではないかという気がする。
現在のアメリカは好きになれないが、かといって、世界にとっての超大国は、ロシア、中国、イギリス・・・・・よりもアメリカであったほうが良い。例え現在のアメリカが好きになれなくても。それを思うとおかしな国である。理由は長くなるので書かないがそれなりの価値観を持っている。
そんな私であるが、このホームページはアメリカのサーバーに預けてある。このホームページは今年の3月にリニューアルしたが、以前のホームページは私がデザインしアメリカ人がホームページ用に変換しそのアメリカ人の知人が経営しているサーバーに登録したのが今も続いている。ちなみにこのホームページは日本人がデザインし作成した。
[2003.07.19]
私のつぶやき 雑言集
● 変わり目 ●
最近、私の住む古い団地に小鳥が増えてきた。毎朝ピー、ピーとさえずりを聞くことが出来る。広い芝生庭には、時々ヒヨドリが忙しそうにエサをついばんでいる。前には、あの頭から絞り出す絶叫調のさえずりのオナガしか見なかったが、ウグイスなど最近は種類が増えた。
増えた時期は、近くの何ヘクタールもある相当広い面積の森が公団により宅地開発され森が消失してからである。現在は、ほとんどがまだ更地で建物が少しずつ建ち始めている。若い頃、団地開発等の仕事をしていたので、遣り方はよくわかるのだが起伏のある森は重機により平坦な土地に変貌し樹木はほとんど消失した。昔、年に何回か散歩がてらその森を抜け隣町に行っていたが、もうその気は起こらない。
そろそろ、このような開発は形を変える時期である。30年前頃から家庭をもつ世代が増え、持ち家制度が奨励され不足な住宅を大規模団地で吸収していった。しかし、今は少子化でありここ数年前から必要住戸数はデータ的には充足している。データ的にはリフォームか建直しで対応できるはずである。少子化の影響で親からの遺産の住戸を含めて、一家族が3軒の家を所有している状態も特殊ではなくなってきている。
戦後、諸先輩の努力で世界の中でそれなりの地位を占められたのも経済復興が大きい。しかし、そろそろ金権主義から脱却し新しい価値観を模索実現すべき変わり目に来ている。
前述の大規模開発も起伏を残し所々に森を残し、人が楽しく歩ける街を造るべきであった。民間であれば利益重視であり難しいが公団であれば可能な方法も見つかったのではないか。
1軒あたりの販売単価を考慮したときに高密度の住宅群は理解できるが、少しずつ開発していくとか、法律や税法までも検討し何か先駆的な解決方法を模索できたのではないか。今までの経済システムを変えられない前提だと今まで通りの開発手法になるが、需要条件が変わってきている現況では余りに能がない。
最近、価値観が変わりつつあると感じている。私の嫌いな言葉「経済効率」も若者達には感じない。戦後復興で走り続けた真っ直ぐな航路を、大型タンカーのように、ゆっくり、ゆっくり、進路を変えつつあるのが今日のような気がする。
[2003.07.18]
私のつぶやき 雑言集
● 感動した、あの味、あの香はどこに? ●
私は、コーヒーの香り、飲む雰囲気は好きであるが、残念ながらコーヒーは飲まない。昔はインスタントコーヒーのみ胃が悪くなっていたが、少し前から挽いたコーヒーでも悪くなるので、もっぱら紅茶、日本茶である。
20数年前、兄からインドで購入した紅茶をもらった。なまめかしい少し黒っぽいピンク色の紙パック入り紅茶で見るからにまずそうな紅茶であった。パッケイジを見るだけで飲む気もせず、1ヶ月後にたまたま紅茶が切れたので、おそるおそるその紅茶を開けポットに入れ熱湯をそそぐ。・・・・・・・いやー びっくりした。
部屋中に何とも言えない甘い香りが充満するのである。これはと思い飲んでみると、ほんのりした上品な奥深い甘みを感じる紅茶で、感動した。これは誇張ではない。友人にも試しに飲ませたが、やはり感動していた。名前は「ロプチュー」。瞬く間に飲んでしまい、その後、恋いこがれて探し回った「ロプチュー」は、本には書いてはあるが東京の主な店にはどこにもなかった。数年、折に触れ探したが見つからなかった。
「ロプチュー」はインド、ダージリン地方のある茶園の紅茶である。ワインのシャトーと同じような経営で、この「ロプチュー」はインドの高級ホテルで飲むことが出来るとのこと。一般的には市販されていないようなインドでも高級紅茶の代名詞的紅茶である。
ところが、今年初め、たまたまインターネットで日本でただ一軒のみこの紅茶を扱っている店を見つけ、翌日には購入に出かけた。その店のオーナーに20数年前の思いを話すと、その感動は私だけではなく多くの人が感動した紅茶であり、8年前から扱い始めたとの話であった。しかし、十数年前にあのすばらしい香り、味は弱まり、昔の味を知っている人はがっかりする可能性があると言われた。飲んでみると確かにがっかりした。普通の紅茶よりおいしいが特別遠くまで買いに行く気はしない程度の味であった。店のオーナーは気候やお茶の木が古くなったせいではないかと話されていた。
恋いこがれた恋人と何十年ぶりに再会し、・・・・・・・・という気分である。
感動は、同じ物に何度も感動はしない。人間は贅沢にできている。特に味は舌が教育されなかなか感動する味には巡り会えない。
小学校の頃、母が東京にいくといつも木村屋の「ブリオーシュパン」をおみやげに買ってきてもらった。いつも、いつも、ほっぺたが落ちそうなぐらいおいしかった。が、今は買うこともない。
[2003.07.17]
私のつぶやき 医院設計
● 医院の看板 ●
医院設計は理論的な間取りが重要な要素の一つで性に合う。間取りには余り悩むことはないが、待合室の広さ、グレードと外から見た開放性にはいつも悩む。診療科目により広さは違ってくるが、広い待合室にわずかの患者ではマイナスに作用する。そんな空いた待合室が外から見えるのはさらに良くない。飲食店と同じで満席の状態が一番良いのだがそうはうまくはいかない。開業当時と何年か先の患者数は当然違うので不要に大きいスペースにしないようにして外からは見えるような見えないような感じのプランにしてしまうことが多い。
看板はいつも相談は受ける。その時は待合室とは違う質の悩みがある。心情としては建物とデザインが合う看板にしてほしいが看板の役目は、医院を探す人の道しるべであり、街ゆく人に医院があることを示す宣伝塔である。建物と一体化して目立たないよりも極端な言い方をすると建物と違和感があるほうが人に認識されやすい。医師は派手なパフォーマンスは嫌がるが医院も商売である。開業当初は患者数は当然少ない。昔のように医師が少ない時代は不要にしても、都会の場合医師過剰時代であり地縁も生かされない時代である。それを踏まえ心情に逆らって進言する。「開業当初は目立つ看板を、患者数が安定したらデザインされた看板に取り替えたらどうですか。」と、それで納得していただく。世の中おもしろいもので新し好きの人が必ずいる。その人達のためにもわかりやすい看板を必要とする。その後は噂を聞いて来院する人達である。そして患者数が安定すれば看板は余り目立たなくても良いと思う。ある、歯科医院の時、歯科医院専門の税理士が玄関前に人間大の大きな歯ブラシ看板を置くように強く進言していた。横で聞いて私は苦笑したが開業当初は知ってもらうために、ある程度の目立つ宣伝は必要と思う。
[2003.07.16]
私のつぶやき 建築編
● 六本木ヒルズ雑感 他 ●
写真は六本木ヒルズ。
新宿で友人に会い、その足でもう見頃かと思い六本木ヒルズの見学に行ってきた。すばらしい。開発者の意気込みが感じられる。建築雑誌に当然詳しく掲載されているので印象だけ述べると、遂に街造りはここまで来たのかというのが第一印象である。重層的というか階層的な街、未来の街を想像させる街造りである。
今までの大規模開発は、ホテル、事務所が主で壁も凹凸もなく、石張り、金属そして空間が非人間的なスケールで眼前に迫り何となく高貴な方の墓場のような雰囲気に何とか生命を感じるものが覗いているような感覚のものが多かった。この六本木ヒルズは、同じ壁面も凹凸があり色遣いも感じが良く、当然、石、金属、ガラスが多用されているが、一カ所に同じ材のつまらないフラットな壁や床や天井はなく、変化に富んだ空間を創出し飽きさせない。ウインドウショッピングする通りは少なくともそのように隅々までデザインされている。
ケヤキ通りを超えた高層住居群は良くデザインされてはいるが魅力は感じない。仕方ないことだけど。
店のスペースも良くデザインされている。設計に従事する者として良くないことだが、最近は店舗の中までは見て歩く気力はない。一軒だけ地下2階の広いスペースの本屋だか雑貨屋だか判然としない店に入った。本の選び方、本の並べ方は特殊で、普通の本屋のように本を売るために極力大量の本を見やすく買いやすくするのではなく、店のオーナーが自分の感覚で選び、インテリア的に本を置き、自分がおもしろいと思う雑貨をインテリアを十分意識して置いているように思える。何屋の店と言うよりは、良いと思う物を品物の種類に余りこだわらず売っていると言うことだろう。このような店が支持されるのはおもしろい。
一昨々日、中目黒の目黒川沿いの、ごく普通の小振りな木造家屋を改築した和菓子屋に行った。外の改造は余り感心しなかったが、店内はなかなかの改装であった。店の人に聞くと、オーナー自身がデザイナーで、自分で改装設計をしたとのことだが、スッキリしていて細かな所まで目が行き届いた改装で「うまいな」と感じた。和菓子の置き方、包み方、包装方法、包装材料も全てに「こだわり」を感じる。非常に閉鎖的な店で外からは化粧鏡程度の大きさの小さなガラス窓から和菓子が見えるだけという店である。開放的な店に菓子を並べ売る売方とは一線を画している。和菓子は凝ってはいるが小さめで値段が高い。基本的な豆大福を食べたが、味は良いのだが私が贔屓にしている店構えは良いとは言えないが味はよい昔からある和菓子屋の豆大福のほうが私は好きだ。普通の大きさで値段も相当安い。
六本木の地下の店と中目黒の和菓子屋の雰囲気は全く違うが、両方とも強いこだわりを感じる。このような物を見て育つ若者は将来どんなデザインを支持するのだろう。楽しみだ。こだわりはなく、経済効率だけを第一に考え金儲けを考えた商売の方法ではない。自分の「こだわり」を大事にし、それを支持してもらい、結果、商売にしてしまおうという感覚であろう。旧人類が権力の座にしがみついていて大変とは思うが未来は明るいのでは。
余談だが、六本木ヒルズはすばらしいと思うが、阿蘇のなだらかな大陸的な草原にススキが風に静かになびいている景色が好みな私にとっては単なる好き嫌いで言うと、あの規模の建物群は好きではない。残念ながら。
[2003.07.15]
私のつぶやき 雑言集
● 気力と具体的な夢 ●
もともと、物欲、金銭欲、権勢欲が平均より少ない私にとって、気力を維持するのは大変である。気に入らない事に対する気力は十分発揮できるが、それも年齢とともに少し柔らかく受け止められるようになり反発も大きくない。健康に気をつけジョギングし体力維持による気力充実を計っているがうまくいっているとは断言できない。
会社員だった頃は、その日その日を頑張り家で愚痴ばかり言っていたような気がする。退職し愚痴はぱったり止んだ。要は人の責任にできなくなったからだと思う。そして今は、これからしたいことばかり頭に浮かぶ。時とともに消え、沸き立ち、変貌し続ける。気力を充実し成し遂げたいのだが。今この時点での建築に関するしたいことを練られた状態ではないが提示したい。
(1)健康住宅フォーラムのホームページを立ち上げたい。
主旨: 家族の城が体を蝕むということは理屈的にもおかしい。少なくとも外より安全であるべきである。ましてや、将来の担い手である未だ体の出来上がっていない子供たちを含め健康に支障のないようにすることが、広い空間、豪華なインテリアを求めるよりも大切な要素と思う。
目標: 住宅に関して建築だけではなく心理学、医学等の広い分野からの健康に住むための意見、データ等を素人がわかりやすいような形でホームページ上に開示、又、質問に答えるコーナーを設けることにより問題点も開示する。
例えば、高気密、高断熱にし病院のような快適な空調を目指すことが良いのではなく、人によるが、人間本来の持っている抵抗力等を維持することを十分に踏まえた提案が出来れば良いと思っている。
実状: 2年ほど前から考え始めているが切り口が難しく具体的には作業はしていない。今、このことに関する先進国のドイツの人が書いた翻訳本と、日本で名の知れた高橋氏の本を本格的に読み始めたばかりである。切り口を考えつけば、小規模の内容でホームぺージを非営利で立ち上げ、皆様に協力を呼びかけ充実したものにしたい。
(2)個人意匠設計事務所フォーラムを立ち上げたい。
主旨: シックハウス対策法、木造の厳しい法律改正、建築主の厳しい要求等により一人設計事務所は苦しい立場に置かれている。人数がいれば専門の人をおけるが何もかも一人で対応していく考えの事務所は大変である。非営利的なフォーラムをホームページ上に立ち上げ、設計報酬料の少ない小さな建物でも、少し前と同じような手間で対応できるシステムをお互いの一人事務所がほんとに緩やかな連帯で達成できないかと考え始めている。
一人事務所と言っても特に一人ではなく手伝いの人が数人いる場合もはいる。
目標: 究極は、各事務所のブースを確保した事務所スペースの共有化、機械の共有化を考えたシステムに発展するのが望ましい。経費節減により本来の設計に対する充実が可能になる。資料等はホームページに掲載しお互いの利用と資料充実を計る。
ただ、自分と同じ程度の力を持っている人の集まりを核としたフォーラムにはしたい。
実状: 各事務所のブースを確保した事務所スペースの共有化は、相当前からチャンスがあればしたいと思っていたが実現性は難しい。又、実際、シックハウス対策法等に具体的に対応しようと思うと新しい分野であり時間的にも費用的にも負担になる現状を何とか出来ないかと思い始めている。
(3)ハーフビルド住宅を確立したい。
主旨: 二昔前までは、一代目が山に木を植え、二代目が木を切り寝かせ乾燥させ、三代目が家を建てる。という話が言われていた。今は一代で2戸以上の家を建てる人もいる。そんな時代、女性でも自分が手作りしたと思えるような住宅手法の確立。
実状: 7年前から考えているが、法的なこと、工事費、工期、保証、サポート体制、現状の市場システム等を考えると難しい。室内のインテリアのみではつまらないし、工事費は相当安めでないと普及はしない。手詰まり状態のままで現在に至る。何か実現性のある設定が考えつけば進めたい。
昔のように、カンナの刃を研ぐだけでも数年の修行がいるプロの大工達が住宅を建てた時代は不可能であるが、現在のように本格的な木造住宅は別にして部品、部材が充実し割と簡単に建てられる時代であれば可能と思っている。当然プロにあるところまで建ててもらうのだが、自分が頑張って建てたと思う程度の作業があるのが良い。
女性を考えたのは疲れ果てた男性を考えるより、元気な積極的な女性を取り込まないと実現性はないと、男性として残念ながらも思っているからである。
上記のことは私にとって今のところ夢的な話で、なかなか姿が見えてこない。興味ある人が時間はかかるが実行してくれるのも一つの考えだと思い、敢えて、未消化の話題を掲載した。
[2003.07.14]
私のつぶやき 雑言集
● If there would not be cars ●
もし車という物がなかったら?
少しオーバーな言い方だが、石油が何らかの影響で高騰し、あるいは、車産業が日本の基幹産業ではなくなり車に対する税金や強制保険が相当多額になる可能性はないとは言えない。世の中、常に流動的であり世界的グローバルな時代であり、かつ、すごいスピードで変化することを考えると予想もしない化学変化的な変わりようもありえる。
又、究極の状態を考えることにより違う価値観や便利さを考えるきっかけになる。
もし車という物がなかったら が、 もし自家用車がなく、公共交通と一部の商業車の世界が存在したら。
身近には、郊外の大型スーパー店はなくなり、街の商店街が復活する。道は人が歩き始め車に便利な道路造りではなく、人が歩くためにすてきな道路が造られる。徒歩のため近所の人と何度も会い、そのうち挨拶を交わし始め道路上での会話が始まる。地域社会もできあがり自分の街との強い連帯もできあがる。犯罪も減る。
公共交通も充実し高齢者も外出の機会が増える。殺風景なばかでかい駐車場の中にポツンと建つ医院等もなくなり病院も環境の良い計画が可能になる。それぞれの街も行き来が少なくなった分、特色ある街に変貌し始め、旅行も違う雰囲気を楽しめる。云々・・・・・。
経済は停滞し、ODA援助は少なくなり世界の中での日本の存在が小さくなる。世界からの観光客は増え観光立国になる。狭い国土に大きな人口、平地で人が住まない所はない日本、車のない生活はそんなに不自由はなく、東京下町は運河が発達し小舟が活躍。世界的に珍しい国となり、云々・・・・・。
上は、書きながら思いついた私の想像。人によりもっと悲観的なストーリーになったり、楽観的なストーリーになるであろう。又、都会、田舎など地域の問題もあり、実際にどのような変化になるとは断定は不可能であろうが、私には悲観的なストーリーは浮かばない。
人はなぜ車を持つのだろう。人はなぜ徒歩15分の所でさえ車で行くのだろう。車がない不便さはきっと何かが補完する。車がない不便さは新しい豊穣な文化を生むかも知れない。
車の有無は、ほんのちょっとの便利さ、不便さではないが、最近、一般的に商品も充実しているため、ほんのちょっとの不便さを商品で解消することに興味を持つことが多い。その不便さを創造性で補うほうが楽しいと思うし、その先に人間くさい豊かな文化が生まれることも考えられる。
[2003.07.13]
私のつぶやき 雑言集
● 自分の顔 ●
レンブラントの幻の自画像が13億円で落札、話題になった。
絵描きはどうして自画像を描くのだろう。モデルに支払うお金がないのか、人の顔は描く気がしないのか。自画像を描くときどんな気持ちで描くのだろう。冷静に客観的に?いや自分の顔をほれぼれと見て描くのだろうか。写真のない時代、肖像画が写真の代わりをしていた。今と同じように見合い写真ではないが、美男、美女になるように修正したはずである。自画像もそうするのだろうか。一度絵描きの人に聞いてみたい。
鏡に映る自分をどう眺めるのか、僕だったら、いろいろ考えて手は動かない。人の顔のように客観的に見る自身はない。絵は内面も醸し出す。そんな情報を鏡に映る自分から感じ受け取ることが出来るのだろうか。
自分の顔ほど記憶の薄い顔はない。どうしてだろう。
もし、毎日、毎日、自分の1m前にいつも鏡があり自分の顔を眺めていたら、いつもほほえむことが出来るのだろうか、それとも……。
僕の顔が美しかったら、世界的な俳優になったのか、それとも顔におぼれ惨めな安アパートで老いさらばえていたのか。謎だらけである。
[2003.07.12]
私のつぶやき ホラ吹きホラ吹く
● 今日の住まいは何にしよう ●
いつも持ち歩くノートパソコンで今日はどんな住宅に住むか楽しく想像しながら電車に乗る。
5年前、道路向かいに起伏があり、余り大きくはないが感じの良い公園がある小さな土地を購入した。300万円で6m×15mの長方形の平らな鉄筋コンクリート造のベースを創り暮らしている。今ある家は、もう3ヶ月も使っている。純和風の建物であるが、少し飽きが来たので、今日、共働きの妻との電話で急遽違う家にすることに決めた。どんな家にするか私が勝手に決めて良い事になったので楽しく悩みながら帰途につく。
電車を降り改札口をでると、駅前広場のベンチにはノートパソコンを広げた私とおそらく同じ目的の人が数人いた。仲間に入り、契約会社のホームページを呼び出し、私のコード10桁を入力。1時間程度で完成させたいので、完成品のコーナーを選択、今回は英国風をクリック。間取りと外形寸法確認し、選択。妻が喜びそうな玄関が少し広めで吹き抜けのある豪華な感じの間取りをクリック。外観の仕様は5種類の中から選び、インテリアは10種類のうち割とスッキリしたものをクリック選択。使用期間は3ヶ月。値段はしめて20万円。
完了のボタンを押し、手持ちの特殊CDにインストール。今日は45分で作業完了である。いつもより早い。途中買い物をし、家の前に立ち右奥にあるボックスを開け特殊CDをセット。無事、昨日まで住んだ純和風の家がリセットされ、英国風の家が出現。水道や下水管が自動的に接続される音が少しうるさいが10分程度で静かになる。
ウン。なかなか良い家だ。トイレはどこだっけ。
洋服は・って、そんなもの知らないよ!!!!
ホラ吹きホラ吹く 第1段終わり
写真: 当事務所がコンサルタントした外人用戸建賃貸住宅の玄関ホール内観
この写真は「ホラ」ではなく実在しています。
[2003.07.11]
私のつぶやき 雑言集
新聞を見て、昨日から怒りではなく気分が重苦しい。
悲観的にならず、未来を信じることが明るい未来を招き寄せられると信ず。
● スピード ●
以前、明治8年生まれの有名な民俗学者・柳田国男の随筆を読んだことがある。すぐ忘れてしまう私の頭であるが、一つだけ内容を鮮明に記憶している。明治生まれの柳田国男が昭和23年、私が生まれた年、に書いた短い随筆で次のような内容が書いてあった。
最近は、世の中のスピードが早すぎる。良くないことだ。
私自身、常日頃からそう思っているので、この彼の文章を読んで苦笑してしまった。私にとって物心ついた昭和30年代は十分すぎるほどゆったりしていた。これをどう考えるか読者にお任せして、少なくともこれからも世の中のスピードはどんどん早くなっていくと推察される。
さて、私はこの現実にどう対処していきますか。
若くはない私の足は、そんなに速くは走れない。きっと!
[2003.07.10]
私のつぶやき 住宅、医院設計
● 私の仕事の仕方 ●
依頼主から住宅あるいは医院設計を依頼された時にどのようにして、仕事をしているのか述べてみたい。
本人、紹介者あるいはEメールでの設計依頼があった場合、以前仕事をした顧客の方は別にして、私自身がどのような人間で、どのような建物(デザイン含め)を設計しているのか知っていただくために、ホームページを見ていただくか作品写真集の掲載されたパンフレットを事前に郵送、あるいは初回の打合わせの時に持参する。
初回打合わせの時には依頼主の話をとにかく聞く。人それぞれで明快な要求から計画自体を行うかどうか迷っている場合など話し方がいろいろである。それにしても相当慣れてないと設計者に対して必要な事項を提示するのは至難の業である。まず無理である。したがって必要な要件をわかる範囲で聞き出す。依頼主のお宅で打ち合わせする場合は、家の感じ、室内の雰囲気でわかることも多くあるが事務所や喫茶店で行う場合は当方の質問も多く、又、細かくなる場合がある。又、可能であればなるべく多くの時間、雑談する。それにより依頼主、家族の感じ、目に見えない希望を自分なりに何となく把握できるようにする。
企画設計をすることになった場合は、1〜2日中に役所に法的な条件を調査に行く。東京の場合は区役所等に。用途地域、道路種類、下水方法、緑化条件、埋蔵文化財の有無、高い建物を建てる場合は近隣住民の雰囲気等々を調査し中高層紛争条例等の書類をもらう、場合よっては水道局、下水道局、医院の場合は保健所等に調査に行く。中高層の場合は消防署に調査に行くことが多い。物件により違うが2時間〜2日程度の時間を要する。
可能であれば、その足で、建て直しでない場合は現地を見に行き写真を撮る。隣地、道路境界を確認する。その現場の周辺を何回かぐるぐる廻り周辺の雰囲気を掴む。杭が必要になりそうかも出来れば予測するし、低地の場合今まで冠水したことがないか近所に人がいれば聞く。山の中腹で擁壁があれば、その擁壁の状態をわかる範囲で調べる。おもしろい建物があればそれも写真に撮る。医院であれば現場から100m〜500m範囲の医院の場所を事前に電話帳で調べ、全ての医院の写真を撮る。目標はどの医院よりも良い建物が目標となる。
役所関係調査、現地調査は十分行わないと良い設計はできない。場合によっては再度いくし夜に見に行く場合もある。
調査後、企画設計作業を行うが、依頼主の設計条件に基づき法的条件、現地廻りの雰囲気、依頼主の雰囲気、家族の雰囲気、依頼主の見えない希望等を頭の中で熟成させる。希望が明確な場合は、時間がかからないが、そうではない場合は部屋と部屋を連結していく設計の仕方ではないので、どのような考え方で設計するか決めるのに相当時間を要する。ずっと考えているわけではない、他の仕事や用事をする合間合間に考えている。その期間が3日〜1週間。その後、おもむろにトレーシングぺーパーにフリーハンドに訳のわからない線を書き始める。次第に形作られ、立体的な想像をしながら、法的条件、建築主の条件を考えながら、壊し、創り、壊し、創りの連続で何日か後、これという建物の相当ラフな立体ができると、きちんと部屋割りをしてみて細かなチェックを行い、うまくいきそうだとラフな図面を書く。うまくいかない場合は、再び、壊し、創り、壊し、創りの作業に戻る。
諸条件を一応満足するラフなプランができあがると、1/100平面図の提出用図面を書く。書く時間は1日〜2日。簡単に色塗りして提出用意完了。色塗り等の最終作業は提出の前の日に極力行う、その方が依頼主への説明が十分出来る。
前の依頼主との打合わせ後、1週間から3週間程度で1/100平面図を提示、説明。この後の作業は依頼主により、又、諸条件により違う。企画設計図が最初のA案で決定する場合もあれば、細かな変更も加えるとN案まで書いたケースもある。その決定した企画案で概算見積もりを半々の割合であるが行うこともある。
この前に、設計契約することもあるが、多くはこれで行くと決めた企画設計が了解とれた時点で設計契約を行う。後は設備設計者、構造設計者と共同作業で詳細図面を書く。A2サイズの図面で鉄筋コンクリート造の場合で一般的に意匠図が約50枚程度、構造、設備図が合わせて約30程度。完成する前に確認申請を役所に提出。確認申請期間は木造で標準には2週間程度、鉄筋コンクリート造で約1ヶ月程度。確認が降りる前に詳細図が完成し、2,3週間程度の1社〜3社程度の本見積期間を経て詳細見積を建築主に提示。希望予算より高めに設計した方が最終的に良い建物が出来るので、必ず希望予算より高い見積金額となる。それから減額案を作成し依頼主の納得のいく仕様等と金額と施工会社が決まり、工事契約の準備に入る。その頃、確認申請が降りる。
そして、工事契約後、工事着工。
工事着工後のある期間は、建築主との打ち合わせはほとんどなく、週に1回程度の現場打ち合わせを施工会社と当方が行う。場合によっては依頼主にも参加してもらう。時々工事状況の報告を依頼主に行う。途中、仕様を明確に決めるために依頼主とたびたび打合わせをし始める。システムキッチン等、水回りの商品は極力ショールームを一緒に見て廻る。
必要に応じて依頼主と打ち合わせをし、時々現場を案内し、竣工。最後に鍵を渡し、当方「ホッ」とする。
引っ越し後、3ヶ月程度は細かな不具合があるので、その打ち合わせで新居に時々伺う。3ヶ月もすぎると、ほぼ問題はなくなり、半年過ぎ、大雨、台風を経験し、何もないことがわかると、本格的に「ホッ」とする。一般的には2,3年は正月にお伺いして様子を見、その後は年賀状で失礼する。
写真は、今月始め、企画設計図をもとに制作した簡単な1日で創る1/100建築模型。物件により制作するときがある。全部ではないが実施になる物件は1/50建築模型を制作し建物全体の感じをチェック、確認する。
[2003.07.09]
私のつぶやき 雑言集
● パチンコと座禅 ●
今日は、ある人にはお叱りを受けるかも知れない。
昔、お寺で座禅させられたことが数度ある。大抵は足が痛くて涼しい顔などしておれない。無の境地。「無」というのはおもしろい概念で一度じっくり学びたいが、座禅は己を廻りの空気や自然と一体化し自分の存在さえも意識させない境地を体得するための方法であると理解している。そのことにより頭の中にある、いろんな事、煩悩等全てをきれいに洗い流し新しい己の世界を構築していく手段のような気がしている。
人は、悩み、喜び、恨み、その気持ちを引きずる。座禅はその気持ちを断ち切る良い方法であるが、なかなか実際の生活の中では座禅などできない。
今は全くしないが、私は若い頃はパチンコが好きであった。長い期間で均すと決して利益が出ないし、うるさい場所である。イメージも良くない。何がおもしろいかと思う人もいるだろう。私は、昔から騒音が苦手で無音状態で暮らしている時間が多い。それが、あの騒々しいパチンコ屋に入っても平気なのである。私が遊んでいたときは、自分の手で一個一個球を入れてはじく。盤上に私の場合5,6個の球が右往左往している。遊びはじめはうるさい音楽がある程度時間が経つと、パチンコ台に目が集中、頭が集中し、廻りの騒音は止み、パチンコ台と対している自分さえも消え、球がなくなるか、トラブルが起きるまでの短い時間だが「無」の境地になる。とにかく、遊んでいるときには、「今日の晩飯は何を食べようか」等々考えられない。何も考えないから頭の切り替えには便利な遊びであった。
なぜパチンコをしなくなったか考えると、
しなくなった時期は、球出しが自動になった時期である。自分の手で球を入れられないのでリズムがとれない、自分が入れるよりも自動の方が盤面の球数が少ない。リズムと球の出が少ない時間のゆとりで集中できないことが理由のように自分では思っている。
パソコンもいろんなソフトを使用し作業していると、メモリーがいっぱいになりフリーズする。そしてリセット。
人も同じではないか。頭の中にうごめく考えがいっぱいになるとフリーズ状態になり、リセットが必要となる。座禅のように根本的にリセットするのは難しい忙しい現代人の簡単で、手早いリセット方法の一つが、人によってはパチンコかも知れない。
[2003.07.08]
私のつぶやき 雑言集
● 今日は七夕 ●
昨日コラムに書いた、私のジョギング最終地点の景色の良い川沿いの道の写真を掲載します。
今日は七夕です。東京は7月7日ですが、私の故郷山口は確か8月7日と記憶しています。山口を離れて40年近く経ち故郷の七夕祭りも過去の思い出になっています。山口は盆地気候で夏は相当暑い日が続きます。子供の頃は浴衣を着て、昼は小さな町中を七夕飾りを見ながら散策し、夜は七夕飾りではなく大きな竹に提灯をいっぱいぶら下げた提灯飾りが両側の店前に並木のように「ほんのり」した明かりのトンネルを夜の街に造ります。その中を行き来きすると時々蝋燭が揺らぎ提灯の紙に火がつき上から落ちてきます。その時の群衆の軽いどよめきの声も忘れられない思い出です。
その頃は、晴れた日は夕暮れ時に道に水を打ち、毎夜、隣近所ほぼ全員が縁台を家の前に持ち出し団扇を持って夕涼みが日課でした。今のように道路は明るくありませんから、もちろん本など読めませんし、縁台将棋もできません。ただただ、涼んでいるだけ。時に親子、兄弟で話し、時に近所の人と話をし、時に小さな花火をするだけ、そして良く晴れた日はいつも空には天の川がくっきりと。今考えると、ゆったりした平和なひとときのような思い出です。
家の前の道は、萩街道で古くからある街道でしたが、道路も整備され車の量も増え、夜の交通量が出始め、テレビが各家庭に普及し夕涼みの習慣はいつの間にやらなくなりました。
FAX、Eメール、宅急便、新幹線はなく、時間がゆったり流れざるを得ない時期、不便ななりに季節感が豊かでメリハリの効いた暮らしをしていたように感じます。
[2003.07.07]
私のつぶやき 雑言集
● ジョギングコース風景 ●
最近、ジョギングは6kmコースと3kmコースを組み合わせている。6kmコースを週2回程度、後は体の調子で3kmコースを走る。気持ちとしては中距離を数多く走りたいが、春に3日間隔で12kmを3回走った時、体の調子が2,3週間おかしくなったので今は無理をしない。
走る目的は、仕事を含め元気にいろいろなことに積極的に対処できる気力を失わないことだから。言いたくはないが、若い頃のように寝れば元気になる体ではない。悔しいが。
余談だが、ジョギングのお陰で若者の横を階段を1段飛ばしで息も切らさずスイスイ上られる。自己満足の爽快さ。
写真は、6kmコースの川沿いの景色である。川面の水を飲むように桜が枝を伸ばしている長い桜並木のきれいな川沿いの小道もあるが、私は、田んぼや畑のあるのびのびとした風景の所を走る。未舗装の所もあり田舎育ちの私には気持ちがよい。田んぼの苗も伸び、斜めから見ると田んぼの水面はもう見えない。明日の写真には、6kmコース終点の気持ちの良い日陰がある写真を掲載します。
僕は、人と対面するときよく目を見る。生き生きした目をみるとうれしくなる。会社勤めではない今、社員もいないので若い人と話す機会がないのが残念である。同じ年齢の人との落ち着いた会話も良いが、生き生きした目を持つ若者とも酒でも飲みながら議論してみたい。そのためにも気力だけは失いたくない。
4日連続でジョギングしたので、今日は休養日にする。パソコンでも今から組み立てようかと思う。マイクロソフトは庶民の敵である。windowXPで1台に1osを購入するなどとは納得できない。window2000でしばらく頑張るとして、自分でパソコンが組み立てられるようにして少しは反抗したい。それよりは無料osのリナックスが早く頑張ってほしい。
[2003.07.06]
私のつぶやき 雑言集
● デザインと費用 ●
中部国際空港の事業費節約の大きな一項目に、旅客ターミナルのウイングの形を折り鶴の羽の形からまっすぐな形にし工事費用を節約した記事が掲載された。
考えさせられる。
昔、20代の頃、ある大規模マンション群の設計施工物件に対する設計と工事関係者(設計、工事とも同じ社員)の会議の席上、バルコニーを緩い曲線で連続させた設計図を指して、工事長がバルコニーを施工費を節約するため真っ直ぐするように相当強く主張した。反論する設計者に対して、「緩い曲線にすることは、どのような利益をもたらすのか」と詰問され設計者が返事に窮した場面を目にした事がある。
それを思い出した。
確かに、緩い曲線の連続は、型枠代が高い。手間もかかる。数量が多ければ相当工事費に響く。金の計算は冷徹に出来るが、デザインの効用はそのようにはいかない。全ての人を説得する方法は難しい。
例えば、歌は無駄か。歌から何の実利的なものは生まれぬ。国民的なショーではない歌舞伎は国が援助して残す必要があるのか。金に換算すればペイしないならば歌舞伎はなくなっていくべきという考え方もある。しかし、歌舞伎はどう考えても非常に高度に完成された総合芸術である。見えないところで、感じないところで非常に役に立っていると思う。税金をつぎ込んでも残す価値はあると私は思う。
少し話が逸れるかもしれないが、私が脱サラした気分的な大きな理由は、「私は機械ではない、感情がある人間なんだ」という思いである。機械に対してであれば無駄のない経済効率を最優先したもので処理しても良いであろう。この世界に造られる物は今のところほとんど全て人間が造る、人間のために造られるものであり、機械のために造られる物ではない。人間の感情というものを大事にしたい。そこにデザインが生まれる素地がある。
中部国際空港の将来への採算性を考慮したとき、節約できる真っ直ぐなデザイン変更は当然だとは思う。しかし、単純に無駄なデザインをするよりは最初からそうすべきとは単純には、単純には考えてほしくない。そもそも、将来性を考えるとこんなに苦労しなければいけない中部国際空港を造ること自体の計画性を問題にすべきである。まだまだ近くの空港からの違う交通手段の整備で済ませ、もう少し経った未来に検討すれば良い企画かもしれない。私はそう考える。
良いデザイン、良くないデザインを判断するのは確かに難しい。しかし良いデザインは我々人間の感情に訴えるものである。直接的に金の生まれるものではなく、感情に訴えるためにそこに自然と金が生まれるのである。我々は人間である。理不尽であろうが、非科学的であろうが、数理的でなかろうが人間には人間特有の感情がある。そしてこの地球は人間だけのものではない。そこを大事にしたい。
大げさな話しぶりかも知れないが、経済効率、競争原理だけが一番最優先にすべき、あるいは、その考え方に反論しない風潮を心配する。
[2003.07.05]
私のつぶやき 住宅建設
● 工事費よろず話 ●
以前総工費について書いたが、今回は工事費のことを思いつくまま書いてみたい。
木造住宅で、35万円/坪で出来ますと宣伝する会社が実際にあるし、同じ木造住宅でも非常に有名な会社は、最近は知らないが、最低工事坪単価が約200万円/坪という会社もある。
具体的な話の方がわかりやすいと思うので、あるRC造住宅を同じ設計図面で見積もりしても、中小規模の会社2社は、約6,000万円、約6,500万円程度、大手建設会社になると8,800万円程度見積もりが提示された。原則3社程度の競争入札を行うのだが、見積もり内容を精査し、結局、価格の割にはしっかりした工事をする約6,500万円の見積もり提示したところに決定。その後、建築主の希望金額を考慮し減額案を作成、検討して、建設会社にも努力してもらい建築主が納得いく価格で最終決定した。
建物の大きさは当然変わらないし、使用する材料のグレードも図面に明示されているので変わらない、その時の実際の業者の腕を考えるとおそらく出来具合(きちんと造る)も上位2社は変わらない。
じゃ、その大きな差額は何だ。やはり人件費や諸々の経費から来る工事費計算と思う。小規模な物件の場合、大手建設会社は中小規模の建設会社と同じ程度の価格であれば赤字になる。したがって大手建設会社は特殊な事でもない限り手のかかる住宅は請け負わない。
では、同じ仕事を4,500万円程度で請け負う会社はあるか。おそらくあると思う。しかし、その場合は、どんな低レベルの仕事をされるか想像もつかない。建築で困るのは表面的に、問題なくても、見えない部分で問題があると近い将来どんな不具合がおこるかわからない。その不具合を直すのに、場合によっては建て直しするのと同じ程度の費用がかかる可能性だってある。
工事をする業種の種類の多さ、各業種のそれぞれの人の腕、会社として責任をとれる度合い、仕事の正確さ、工程順守の度合い等により当然単価はかわるので、この価格が正当とは断言がしずらい。
私の場合、建築主側から指定がなければ事務所としてあるレベル以上の会社に競争入札参加を依頼する。もちろん、初めて依頼する会社は、竣工物件、工事中物件を見せてもらいレベルを確認する。出来れば、建築主にも選んだ数社の現場も一緒に見に行ってもらう。したがって非常に安い見積もりは出てこない。
その後、会社の力量と見積金額とのバランスを考え建築主に伝え、建築主と話しあって工事会社を決めて行くことが多い。
木造住宅では一般的に大手住宅メーカーが工事する場合の予算があれば、設計事務所が設計し、割としっかりした建設業者、工務店が工事を行うことが可能と思う。
又、建築主との信頼関係が確実に築かれる仕事であれば、ローコスト住宅も手がけてみたい。時間を掛け、工法、材料、ディテールを良く吟味し、建築主が理解をしめせば可能とは思う。
[2003.07.04]
私のつぶやき 雑言集
● ささやかな いけない楽しみがなくなった ●
少し前までは、店で買い物するときに人に言えない楽しみがあった。それは領収書をもらうとき。宛名は?と問われ、「高林建築設計事務所」と答えて覗き込む。よく「築」のところでペンが止まる。素直に聞く人、悩む人、そっと店の同僚に聞く人いろいろである。悪いとは思いながら・・・・・・・・。
楽しそうな店員だと「パソコンのしすぎでは」と冗談を言ってひやかす。
私もそうだが、パソコンで文章を書くことがほとんどになった今、日頃は書けない難しい漢字も勝手に変換してくれるし、今まで普通に書いていた漢字がうろ覚えになっていても選ぶことで済む。僕の年で領収書を書くときは客から見えないところで書きたい。これは本音。
ところが、最近はスラスラと「高林建築設計事務所」と書いてくれる。お陰で覗き込むこともなくなった。いけない楽しみもなくなった。私の方は以前より漢字を忘れているというのに、これはどういう事だろう。
昔、葬式の記帳はイヤな瞬間で、人がじっと見ているなかで下手な字を書くのである。きれいなうまい字の横に書くおのれの文字に何度も幻滅させられた。最近はそういう思いをしない。これもパソコン効果か? 若い頃、上司に「文字を幼稚園で習ってきたら」と言われたことがある。その時は「文字は伝えるものだからわかれば良い」と即座に反論したものの、手書き図面の線のみの時はそれなりに見える図面が、文字を記入した途端、図面のグレードが下がるのがはっきり認識できた自分としては、そう反論する以外にない。私はまだ手書きだが、ほとんどの人が図面はパソコンが書いてくれる。
余談だが、CAD図面は納まりを理解していなくても書いてくれるので図面が単調でその人の思いの濃淡が表れない場合があるが、手書き設計図を見ると、この設計者はこの部分を、「思い入れ」して設計していると感じることが出来る。手書き図面も良いものだ。
[2003.07.03]
私のつぶやき 住宅建設
● シックハウス対策法に寄せて ●
今度、ホルムアルデヒドとクロロピリオスの規制に関しての対策法が施行された。実際それを順守していくことは設計事務所に取って大変な事のように思う。アトピーの子供たちが増えている状況を考えると化学物質は極力使わない方がよい。実際私自身もアレルギーでホルムアルデヒドに反応するし興味がある問題ではある。本音は化学物質を使わない材料で設計はしたい。が、数値を集め計算していくことは時間があればできるが、その材料に含まれる化学物質の表示が正しいかどうか、何種類かの原料で造られている部品の化学物質をどう判断していくか、施工段階の溶剤等で危険と思われている化学物質を実際使用しないかどうかの確認をどうしていけばよいか。又、個人差のある化学物質反応をどう考えればよいか。
化学物質を含まないものは一般的には材料として高いし、又、その表示を信頼できる大手メーカーの商品はやはり高めである。施工段階にしても住宅建設をするのは小規模の建設会社であり施工費用を考えてもきちんと化学物質のことを管理するのは難しい。
私は次のように思う。
建築主が、例えば木材の少しぐらいの「ソリ」や「割れ」や「色ムラ等」を自然現象と思い許容してもらえれば、ある程度防げる。例えば床材を安い無垢材を使用できる。許容できないと、そのようなことが起こらない材料費の高い上質の無垢材を使うか、ベニヤ下地の表面だけに薄い木を貼った複合材を使用していかないと、少しのソリ等のクレームで取り替えなければいけないこともあり得る。その費用を設計事務所も負担できないし、施工会社もそうであろう。
実際ある話だが、床材と巾木の間は、下地の木の乾燥に伴う痩せと人が歩くことによる加重により隙間が空いていく。1年後の確認で名刺を差し込まれて、「これで良いのか」と問われたことがある。理由を説明して納得していただいたが、1mm程度の隙間にも気になる人が意外と多い。隙間だけではなく少しのことでクレームになりやすいので気をつけているが、もし材料、施工の特性、常識として発生する差し支えない程度の不具合を許容してもらえれば対応方法もある。確かに事前にきちんと説明していないことが原因であるがあまりにも材と材が結合される部分が多く、又、どの程度の不具合がでるか言い切れないので説明が難しい。又、建築主にとってもどの程度の不具合か正確に提示してもらえないかぎり了解などできないと思う。
又、融資条件やいろんな制約で時間が決められてしまうのだが設計に少し多めに時間がさければ、時間をかけ検討できる。
考えた物をすぐ手に入れたいのが人情にしても、金額の大きな住宅にも、将来生活に大きく影響する住宅にも、時間をかけなさすぎるように思う。住宅メーカーのように部品、部材を含めて商品化された住宅では可能であるが、オーダーメイドにそれを希望されるのは少し大変である。設計事務所とて全てに詳しい知識を有してはいない。見識があり時間をかけるだけの価値がある設計者なら、それなりの時間をかける価値があるとは思うが、これ又、実際上それだけの力のある設計者かどうかの判断が難しい。やはり専門家である設計者が一番努力する大切なのは言うまでもない。
今回は、まとまりのない文章なのは承知の上で書きました。法律上の数値を守れば済むというものでもないと思う。安易に化学物質を未来の子供たちの事を思うと使うべきではないと確信はしているが、では、現実的にどうしていけば良いのか自分の中で明確なビジョンが確立できない。しかし問題提起として書くことにしました。
[2003.07.02]
私のつぶやき 雑言集
● 密偵ファルゴ ●
最近、読書の量が減ったが楽しみにしているのが「密偵ファルゴ」シリーズである。この小説は、イギリスの最近の推理小説人気作家のリンゼィ・ディヴィスという女性の書いたもので、ローマ時代の物語である。ローマ皇帝からも依頼される、さえない感じの密偵が難問を解決する物語で、日本で言えば「マゲ物」である。池波正太郎、山手樹一郎に少し似ている。
イギリスの推理小説はおもしろい。有名な作家は多くいるが私は少し地味ではあるが、クロフツの推理小説が好きでほとんど読んだ。まじめな人のようで小説もまじめな感じがする。翻訳本を読んでいて感じるのが訳の良し悪しである。原書で読んでみたいと思うことから英語を勉強しようと思い立つことがたびたびあるが、いつも3日坊主である。ハリーポッターの原書版に大勢の人が並んで買ったいうニュースはうらやましい限りである。
インターネットの時代。少なくとも英語が理解できれば世界が広がると思い、今でも思い出したように英語の教科書を広げるが30分も持たない。中学校の時は英語が得意で学校代表で市の英語弁論大会に出場するように言われたが壇上に立ち話すのは苦手で堅く辞退し、ひんしゅくをかった記憶がある。その面影は今は全くない。
中学校の頃、有名な英語塾に通っていた。その先生は日系ハワイ人で教え方は学校とは全く違った。最初は発音ばかりで、英語を聞きその発音符号を書く練習もさせられた。その練習で単語の意味のわからない文章もそれなりに読めた。そう、昔は得意であった英語が何とかならないはずはないと思いながら挑戦するのだが何度挫折していることか。これから何度挫折することか。原書で読みたい物がある。原文で調べたい物がある以上あきらめるわけにはいかないが、同じ事も天国でも続けるようになる可能性もある。困ったものだ。
[2003.07.01]