■2003年05月のひとりごと
私のつぶやき 住宅設計のポイント
● 厨房、ダイニングキッチン ●
いろいろな参考本が出版されているので、私なりのポイントを羅列であるが述べてみたい。
料理あるいは食べることを大いに楽しむ場合は別にして、一般的にキッチンは合理的に考えた方が良い。寸法も無駄なく必要寸法を確保することが望ましい。
食後すぐに食器を洗い片づける家庭は開放的なキッチンで良いが、そうでない場合は独立型が望ましい。共働きで主婦が忙しい場合は、感覚的に嫌でなければキッチンラインにつなげて洗濯機置き場を設けると料理と洗濯が一緒に出来る。又、主婦動線の厨房―洗面所―浴室ラインの連携を配慮するとなお良い。
小さな子供がいる家庭は、洗いシンクがあるラインを部屋側に設ける等、開放型キッチンとし子供の遊ぶ姿が見える状態で料理が出来ることを考えたい。又、2階建て以上の住宅の場合は、水廻り(厨房、洗面所、浴室)は同じ階にしたい。
参考写真: 厨房から見るLDK
昼間、奥様の友達がたくさん集まる家は、開放型キッチンとし、キッチンに絡めて大きなテーブルを造り付けで設置し、お互い料理しながらおしゃべりできるキッチンも楽しい。勿論、夫婦でそのように楽しみたい家庭も同じである。居間を狭くしてDKを広く取りファミリーリビングとして十分機能させるのもおもしろい。
料理が好きで、みんなで作り食べることが好きな場合は、一般的な考え方に捕らわれず自分たちで夢を追いながらキッチン設計することが望ましい。
子供が独立し高年齢夫婦だけの場合、私はオープンキッチンが望ましいと思う。お互い話をしなくても、料理している姿、食卓で新聞読んでいる姿等を、目の隅に確認でき、相手の気配を感じられることが良いことと思う。全ての夫婦に通用するとは思わないが。
両側にキッチンラインの場合、一人で料理を行うときは両側のキッチン間隔は80cm以上あれば十分であるが、キッチンセットの下の扉を開けるとき屈むがその時、容易に扉が開けられることが必要。人によっては80cmでは苦しいかも知れない。私は85cm〜90cm程度確保する。
又、二人で料理するのが常の場合は、間隔は120cm程度ほしい。料理中、2人がクロスしたときに問題ないように。
キッチンの高さはメーカーのショールームで十分確認すること。高すぎると水を扱うとき肘から水が滴ってしまうし、低いと腰が痛くなる。高さは一般的には85cm、90cmのキッチンが多い。少しお金がかかるが一番下部の袴の部分で高さ調整が微妙に出来る場合がある。毎日使うものなので十分納得した高さにした方が良い。又、吊り戸棚の設置高さは身長を考え配慮すること。
長年料理していると、調理の動きが右側あるいは左側に動く癖がついている。余り気にしない方は良いが、その癖を変えたくない場合は、洗いシンク、調理場所とガステーブルの位置関係を検討すること。
キッチンカウンター材質はいろいろあるが、こだわりがない場合はステンレスが良いと思う。扱いやすいし、汚れにも強い、そして食器を落としたときに割れづらい。開放型キッチンの場合は他人に見えるのでコーリアン程度にしたい。石を使いたい人がいるが豪華さは十分発揮できるが、ワイングラスを倒しただけでも割れるのでその点、留意すべき。
輸入キッチンについて、イタリア製のキッチンはデザイン、色がとてもきれいであるがピアノ塗装の場合、指紋や汚れが気になる。余り料理をしない人、良く清掃する人にお薦めか。ドイツ製、頑丈でありデザインも良く一般の人にもお薦め。外国製は日本から撤退されると部品が補充出来なくなるので、昔から日本に代理店があるメーカーを使いたい。
システムキッチンはオーダー注文で製作してくれるところもある。設計者がデザインし大工さんが作ることだって可能である。一般的には割り高。
配膳台の位置は十分検討すること。余り考慮しない建築主が多いが、良い場所に確保すると料理を出す時、片づけるときに随分楽になる。
煮物が多い場合は、換気扇フードの中に照明が組み込まれているタイプを選ぶと良い。鍋の中がよく見える。
キッチンに吹き抜けを設置する場合、必ずにおいと熱が上がることを考えた上で判断すること。
システムキッチン以外の食器棚は、4人家族の場合は、最低1200幅程度の食器戸棚があれば何とかなる。しかし食器が好きな方は、それでは少なすぎる。
[2003.05.31]
皆様へのつぶやき 試験問題解答
● 5/27試験の解答 ●
少し解答が遅れましたが、5月27日に行った問題の解答書を掲載します。
(問1) 住宅関係の雑学に関する記述のうち誤りはどれか、番号で答えなさい。
1.神棚は一般的に茶の間の内法長押より高い位置に設けられる。下を通り抜ら
れるところや2階が丁度廊下になっているところは好ましくない。
2.畳の基本寸法はいろいろあるが、代表的なのは田舎間(江戸間あるいは東京
間)、京間があり、京間のほうが田舎間より大きい。
3.畳の敷き方において、床の間の前の畳は必ず床の間に平行に敷くことになっ
ている。
誤り文4.紙張障子の組子は障子紙の寸法に合わせて割り付ける。その障子は障子紙を
室内側に、組子を室外側にする。
説明文: 障子紙を室外側に、組子を室内側にする。
中国では逆のようですが、日本では上記のようにします。技術的
理由はないようで、単に感性あるいは習慣からきていると思われ
ます。
あとがき
4.と同じようなことで、建具があります。引き違い建具は2枚で構成されている場合は、必ず建具を見て右側が手前になっています。ご自分の家で確認してみて下さい。興味あれば、4枚引き違いふすまの時はどうなっているのでしょう?考えてみましょう。
2.の問題は、柱の間隔が原因です。関東は3尺(約91cm)の割付が基本寸法になります。したがって8畳は柱芯々364cm×364cmの大きさですが、京都や岡山等では約1mの柱間隔の割付になり、畳も大きくなってしまいます。
3.の問題と関連して、畳の目にそって歩くことは問題ないのでないのですが、畳の目と逆行すると毛羽立ちするし良くありません。従って出入り口のすぐの畳は足の動きを考えて畳の目の方向を考慮します。
(問2)民法における相隣関係についての記述のうち誤りはどれか、番号で答えなさい。
1. 土地の所有者は、隣地との境界近くで建物を築造し、又は修繕する場合に、
隣人の承諾なくとも承諾に代わる判決があれば、隣地に立ち入ることができ
ます。
誤り文2.土地の所有者は隣地の所有者と共同の費用で界標(境界を表示する物)を設
置することができるが、その設置工事の費用は、両地の広さに応じて分担しなければならない。
説明文: 測量費用は土地の広さに応じて分担しなくてはならないが、民法
においては界標設置の費用は折半して負担します。
3. 地の竹木の根が境界線を越えて侵入している場合は、これを竹木の所有者
に切り取るように請求することができるが、自分で勝手に切り取ることもで
きます。
4. 他人の宅地を観望できる窓または縁側を境界線から1m未満の距離に設ける
場合は、目隠しを付けなければならない。
あとがき
民法は、今までの慣習を法律にしたようなものです。隣といさかいになり裁判になれば民法の規準で判断されますが、できれば、近所のことですからお互いの話し合いで解決されることが一番です。
今までの慣習を法律にしたようなものですから、例えば4.の目隠しも隣からクレームがなくお互い了解ができるならば目隠しを設ける必要はありません。ただ、その窓がその家にとって大事な窓でなく、相対する隣家の窓が娘さんの寝室等であれば、積極的に目隠しを付けることも大切な気持ちと思います。
一番民法で良く建築問題で出てくるのは、隣地境界から外壁面まで50cm離すという規定です。住宅地であればこれは守るべきです。ただ、民法に書いてあるのですが、昔からそうでない地域は50cm離さなくて良いという条文があります。すなわち、商店街などで昔から隣地境界ぎりぎりに建てている地域では、必ずしも50cm離さなくて良いと言うことです。
難しかったでしょうか。建築にも技術的なことでは決まっていなくて、昔からの慣習でそうなっていることもあります。又、建築基準法のように正式な法律もありますし、民法のように生活する上での近所関係を処理する規準も建築には関係してきます。
[2003.05.30]
私のつぶやき 雑言集
● おじさん ●
昨日は天気も良くいつもの川沿いの道をジョギング。すると、途中、工事用ヘルメットを被った「アンちゃん」がわざわざスクーターを止め、「おじさん、すごいね」。それはないだろう!!! お陰で体のギアがシフトダウンした。人の喜ばし方をこの男は知らぬ。返事もする気がせず、軽く片手をイヤイヤ上げておく。
私なら、スクーターを止め、ここまでは完璧。その後、「ヨォ、お兄さんスゴイネェ〜(尻上がりの口調で)」。これでギアはシフトアップ。修行が足りないね。
「おじさん」という言葉は好きではないし、余り言われた記憶がない。依然、あるお宅で打ち合わせ中、2,3才の子供に「おじさん」と言われて抗議?した。「私はおじさんという名前ではない。たかばやしという名前です。おじさんと言われると体の力が抜ける。」と。困ったような顔をした子供は、次回の打ち合わせの時には、ろれつの回らない口調で、時間をかけ「た、 か、 ば、 や、 し、 さ、 ん」と言ってくれた。最高にうれしかった。きっと親の特訓があったことだろう。「たかばやし」と言うのは以外と言いにくい。それからは、行くといつも「た か ば や し さ ん」とかわいい声で言ってくれる。その日は何があってもハッピーなのだ。
今でも、行くとそう呼んでくれるが、少し大きくなりスムーズに呼んでくれる。うれしいね!!
………今度は、ジョギングには名札を付けていくことを検討するか。???
[2003.05.29]
私のつぶやき 住宅設計
● 家と夢 ●
設計事務所は「夢を売る商売」と言われることがある。ありがたい指摘ではあるし大変なことと思う。
夢は実現したときに夢でなくなる。夢は頭の中でのことだから不要な部分は取り除き心地よい部分のみ拡大して考える。それが夢。……そして夢は生きる活力。
建築主と共に設計して、いつまでも夢を持ち続けたまま家を引き渡せればすばらしいとは思うが、そこには毅然とした現実が立ちはだかる。予算の壁、技術の壁、現実の等の大きな壁が。
私は、予算やちゃんとした家を造ってもらえるのかという心配を抱えたまま気むずかしい顔で建築主に参加してほしくない。大金を投入する、又、自分たちの大事な人生の基地である家を造るときは、笑顔で、夢を持ち、楽しく設計参加してほしい。そのための設計事務所でありたい。これが私の基本である。「家は楽しく創る物である。」
夢は壊れやすいものだし、実現した段階で満足、不満足の結果が出た時点で夢は終わるのが普通である。でも何とか夢の一部でも残ってほしい。
これからは内緒の話である。
私は、設計当初は夢を持ってもらうようにする。建築主の希望(夢)は頑張ればかなえられるものだということを完全でなくても、図面や話の中で持ってもらえるように努力する。笑顔が出てきた段階で、予算や、現実を踏まえ少し夢を壊し、建て直し、壊し……。そして工事にはいり、竣工間近になると少し夢を壊す。出来上がったとき建築主の想像していた以上であれば大成功である。「終わり良ければ全てよし」。竣工後もすこしだけれど夢を持ってもらえる。このように出来れば良いといつも思うが、いつもうまく行くわけではない。細かなテクニックであるが努力する甲斐はある。しかし頃合いが難しい。こちらが冷静でないときは冷たい、冷たい冷水をかぶせることになりかねない。
人の夢は大まかにしか把握できない。人の夢を操作できるわけでもない。
竣工後に住む人達に小さな夢が残っていることが、私の夢ではあるが。
写真: 元気な子供達への私の小さな設計プレゼント、DKから見える2階のベランダ。
小さな元気な子供達を見ると私にも夢が湧く。この子達の住む時代が良い時代でありますように。
[2003.05.28]
皆様へのつぶやき 今日は試験日
● 今日は試験日です。 ●
サァー、今日は試験を出しましょう。電車に能研?の小学生か中学生用の受験問題が広告として掲載されています。よくジッと見て…考えて……。難しい。!!
私の問題は難しくありません。
数年前から某住宅メーカー営業社員への試験問題作成をしています。その問題の中から1問を皆様に出題してみたい。又、(問2)は宅建問題に出題されているものを一部手を加え掲載しました。楽しい勉強になりますように!
解答は30日に掲載します。
解答と共に簡単なミニ知識としての説明をします。お楽しみに。
(問1) 住宅関係の雑学に関する記述のうち誤りはどれか、番号で答えなさい。
1.神棚は一般的に茶の間の内法長押より高い位置に設けられる。下を通り抜ら
れるところや2階が丁度廊下になっているところは好ましくない。
2.畳の基本寸法はいろいろあるが、代表的なのは田舎間(江戸間あるいは東京
間)、京間があり、京間のほうが田舎間より大きい。
3.畳の敷き方において、床の間の前の畳は必ず床の間に平行に敷くことになっ
ている。
4.紙張障子の組子は障子紙の寸法に合わせて割り付ける。その障子は障子紙を
室内側に、組子を室外側にする。
(問2)民法における相隣関係についての記述のうち誤りはどれか、番号で答えなさい。
1. 土地の所有者は、隣地との境界近くで建物を築造し、又は修繕する場合に、
隣人の承諾なくとも承諾に代わる判決があれば、隣地に立ち入ることができ
ます。
2. 土地の所有者は隣地の所有者と共同の費用で界標(境界を表示する物)を設
置することができるが、その設置工事の費用は、両地の広さに応じて分担しなければならない。
3. 隣地の竹木の根が境界線を越えて侵入している場合は、これを竹木の所有者
に切り取るように請求することができるが、自分で勝手に切り取ることもで
きます。
4. 他人の宅地を観望できる窓または縁側を境界線から1m未満の距離に設ける
場合は、目隠しを付けなければならない。
● 今日電話をくれた貴女へ ●
採用の問い合わせは貴女で今年3人か4人目です。採用は考えていませんが電話で話きれていないアドバイスがここで出来ればと書きました。貴女が運良くこのコラムを見てくれたなら良いし、そうでなくても同じような若者の参考になればと思います。
それで、貴女の差し支えなし程度の情報をここに掲載します。
大学4年生 専攻:心理学 建築設計の仕事を希望
1. 勤めるにせよ、アルバト的に働くにせよ、将来自分で建築設計の仕事をしてみたいのであれば賃金は無視して、しっかりした会社なり設計事務所なりで勉強するのが一番です。大学4年生で、今何をすれば良いか、何を選択すれば、どの方向に向かえば良いかなど普通の人にわかるはずもありません。
情けない話ですが、私は現役での大学受験は機械科、一浪後は経済学部、建築科で、一番希望の経済学部はスベリ、建築科へ。入った会社を受けるきっかけは、雑誌「会社四季報」の建設の最初のページに掲載されていたので就職試験を受けたのです。たまたま良い会社で、グレードの高いレベルで鍛えられたから今があると思っています。
心理学科で建築と関係なくても、私の大学4年生での建築知識を考えてもやる気があるなら大丈夫です。
2. ただ、今は設計関係は特に狭き門です。会社や事務所は即戦力を期待しているはずです。そのためには、やはりどこかで基礎知識を学ぶことはもちろん、コンペ等の参加など積極的な姿勢が必要と思います。私は個人事務所で小中規模程度の事務所の考え方は明確にはわかりませんが、厳しい時代、コピーしかできない人は必要ないと思います。
3. 昔のように、建築に対して純粋な有名建築家、有名住宅作家を目指すのも良いことだとは思いますが、そうなれるのはごく一部の人達です。その人達は、図面がうまい、デザインがうまいだけではなく、考え方がしっかりしていて、自分の考えを建物に出せる能力、人を説得できる能力があり、人格的にもそれなりの人達と思います。
電話で話したように心理学が好きであれば、それを十分生かす方法だってあると思います。建築には心理学は重要です。特に住宅には必要な学問と思います。例えば、照明にしても明るさ、色温度などにより心理効果が違うし、間取りによっても家族全体の心理状態が変わってきます。建築知識を絡めた心理学も今では可能性があると思うし、心理学問を絡めた建築設計もありえます。私の場合も、純粋に建築あるいはデザインのみでの勝負となると、私よりレベルの高い人は数限りなくいます。今は、建築主と一緒に考え、造り上げる、その結果をデザインし丁寧に現場監理する方向に考えています。うまく言えないのですが、余りデザインを重視していないのです。しかし、実際は、そのようなことで仕事がきているのではないようです。
4. 善し悪しは別にして、今はCADの時代です。描いた内容がわからなくて良ければ、要は単なる絵として書けば、住宅程度の建築図面であれば見よう見まねで素人でも3ヶ月程度で書けるようです。もちろんその図面内容を建築主や施工会社には説明ができないと思いますが。又、大手建設会社は図面製作を海外の安くて優秀なスタッフに依頼しています。タイ、フィリピン、中国等です。Eメールで図面のやりとりができるこのような時代、図面が書けるだけでは厳しいと思います。それなりの設計者を目指すのであれば、わからないままでも、良い建築をたくさん見る、有名な人の図面をトレースする、写真もたくさん見る。極力良い仕事を手伝わせてもらう。等の努力が必要です。その努力が報われるとは限りませんが、それはどんな仕事でも同じと思います。
5. 自分の経験だと、25才〜35才までに頑張るだけ頑張って吸収するのが良いと思っています。私の場合は、そうしたのではなく会社が無理矢理働かせたというのが本当のところです。
ただ、体は壊さないように。会社勤めの時、仕事しすぎて体を壊しても、3ヶ月ぐら
い同情されて後は邪魔者扱いになるだろうと思っていました。会社は利益を出すとこ
ろですから。
6. 私が会社勤めの時代は、設計の上で女性は平等な扱いを受けていませんでした。顧客である建築主も女性だと不満な方もおられます。会社より設計事務所のほうが女性を平等に扱ってくれるとは思います。そのかわり相当厳しい扱いを受けると思います。
7. 電話ではリフォーム設計にも興味があるようですが、新築を勉強してからの方が良いと思います。店舗内装設計等は特殊で別ですが、一般的なリフォーム設計は新築より難しいものです。単純に考えれば簡単かも知れませんが、既存の状況を極力正確に判断し、その上でどのようにリォーム計画をたてるか考えると実際は難しいハイレベルの仕事です。新築の知識や経験も十分必要です。既存状況を判断しないで、やっつけ仕事でするのであればごく簡単ですが。
マンション内の改装、改修は、既存のコンクリート部分を壊さないのであれば、多分割と簡単にできます。それでも、新築ができる程度の知識はあった方がよいと思います。
若者が頑張る世の中は、きっと我々大人にとっても良い世界です。頑張って。!
話し足りない気がして書きました。うまく書けていませんが、もし運良く貴女が見てくれたら役に立てて下さい。
[2003.05.27]
私のつぶやき 日記
● バラ園 ●
私はバラが好きだ。それも淡いピンクのバラ。
昨日の日曜日は天気も上々、散歩がてらにしては遠いが雑誌に掲載されていた佐倉近くのアルバというバラ園に行った。京成バラ園より相当せまいが、「エッ」これがバラの原種。という原種、牡丹のようなバラ、テッセンのような一重花びらのバラ、薄いグリーンのもの、バラとは思えない花姿の品種もあり楽しかった。
去年、設計した住宅の奥様もバラ園を見にイギリスまで行くほどバラがとても好きな方で、バラを相当強く意識して設計した。
淡いピンクのバラは大好きであるが、ピンク色は色としては好きではない。建築に使うには非常に難しい色である。少し間違うと安っぽい、みだらな色になる。しかし、良い色がでたときはほんとにすばらしい何とも言えない色模様を楽しめる。しかし、そんな色具合がなかなか出せないから怖くてピンク色は使わない。
バラ、私は古典的?な花姿のバラが好きだ。バラは貴公子のようと言いたいが、やはり貴婦人のようだ。派手やかさの中に凛としてつつましく意志の強そうな雰囲気を漂わせている。こんな雰囲気の漂う建物を設計してみたい。
父は、牡丹が好きで大小含め何種類もの牡丹を裏庭に植え、季節には裏庭いっぱいに咲かせていた。直径30cmもある大輪が咲く種類もあった。艶やかではあるが、きれいな花の状態が短く、又、雨に濡れると情けないほど惨めな花姿になりがっかりする。
バラは雨の中でも凛と咲く。
写真は、バラ園アルバ 撮影 高林
あとがき
頭で書く文章は、人を退屈させる。 体で書ける文章は、人を感動させる。と思いつつ書いているが難しい、苦しい。マゾ的ではないが、これが楽しい。
いつか、きっと、人に感動してもらえる文章が書けることを祈りながら……
[2003.05.26]
私のつぶやき 住宅建設
● 追加工事 ●
私の仕事ではないが実話。知人が家を建てた。知人は工事中にいろいろな変更、追加を希望、施工会社と設計者はそれを気持ちよく受け入れ工事に反映したが、竣工後、施工会社から約1,000万円の追加見積書を提出された。契約工事金額は約4,000万円程度であるからちょっとすごい例。
この種のことはよく聞く話である。おそらく建築主は、変更、追加の話を施工会社が何も言わず受け入れた場合はある程度サービスで行ってくれるものと思い込んでいるからだと想像している。ただ金額的に言って上記の施工会社の対応は感心しない。
私はなるべく工事途中で追加変更がでないようにショールームで現物の部品を見られるものは一緒に見、又、建築主の埋もれた夢や希望を雑談などしながら聞き出す努力をするが、限界がある。今までは、追加、変更工事を100万円以内に収めることは困難なのが現実である。
どうすれば、追加、変更工事が減るのであろう。
追加変更工事がでないように工事契約前にきちんとするのがベストである。設計者も建築主の生き方、考え方、家族状況、予算等々を十分配慮し、又、希望されそうな変更追加項目は予想し、その予算効果を含め総合的な判断でアドバイスしながら建築主と一緒に努力すべきと思う。又、その夢や希望をどこまで実現できるか建築主と設計者が真摯に話し合うことが知的ゲームのようにお互い楽しくできれば言うことはない。そのために、どんなことでも、又、たとえ夢物語的な希望でも建築主に言ってもらえるとありがたいが、その前に設計者は建築主からの信頼を勝ち取る必要があると思っている。
[2003.05.25]
私のつぶやき 雑言集
● 本と私 ●
おもしろかった本として記憶があるもの、小学校の頃は三銃士、中学校は厳窟王、高校のころはドフトエフスキーの「罪と罰」。この罪と罰の中で、主人公がおばあさんを殺すときの心理描写、理屈が本当に体で理解できた不思議な感覚があって自分であわてたことがある。読み始めて絶対気が違った人間が書いた小説だと断定していたから、それがわかる自分は今少し気が違っているのではないかと何日間か心配になったことがある。ドフトエフスキーの本はそのころ何冊か読んだが、それ以来一冊も読んでいない。高校のころ、スタンダールの「赤と黒」、パルムの僧院?等も読んだが理解不能でとんと記憶がない。
好きなのは辻邦生。フランス文学者で顔が綺麗なのが気に入らなくて読まなかった。ある時期読んでみたら、映像的な小説、日本人には珍しく叙情詩的な小説で好きになった。疲れた時は池波正太郎、手塚治虫の漫画。先日マヤ文明展を見に行き特にオブジェ化した香炉に感動したが、手塚治虫の「三つ目がとおる」を思い出した。間違いなくマヤ文明が底辺にある漫画である。手塚治虫の漫画は題材もバライティに富み、内容も深いので何回も読める。人間愛に満ちてはいるが、この作家の根底には科学の先には悲観的な未来があるような感じを受けるところがある。
最近読みかけている本は、モンテーニュ、ストア学派セネカの哲学書。スゥーとは読めないので気分の良いときに少しずつ読んでいる。セネカを読み始めた直接のきっかけは、確か草柳大蔵氏が座右の書にしているとの随筆を読んだからであり、又、ギリシャの科学的、数理的哲学の後に、人の感情、感覚を大事にするストア学派、エピクロス派が生まれた、このストア学派に興味があり読み始めた。ただ全集は訳が直訳的でまわりくどく読みづらい。読むとブルジョア(死語か?)のにおいがプンプンして少し鼻につくが哲学書というより倫理書的な感じがする。セネカを評価しているモンテーニュに興味を持ちこれも読み始めたが心の部分に誰もがもつ悪い面も正直に書き記していて興味深い。
哲学書はどうも私の頭の中には少しも記憶されないような感じがする。
いつか読みたい本。一番はシェクスピア、高校の頃読み始めたことがあるが全く理解できず何もおもしろくもなく途中で頓挫。この年齢になり、そろそろおもしろく読めるのではないかと期待している。中学生の頃読んだ夏目漱石の「我が輩は猫である」の読後感と、大学生の時の同じ本の読後感はかなり違っていた。人生を歩んで行くと共に同じ内容でも違って受け止められるのではないか。
後、インド哲学書。質量不変の法則からいくと、人が死んだときに原子レベルでは拡散、存在し、他の原子と結びつき長い年月の後、何かの形となり現れるのではないか。宇宙の収縮、爆発、超新星誕生、星の成長の繰り返しを思うとき成立する考え方ではないかと勝手に考えている。それで、輪廻の考え方はどのような考え方から生まれたのか興味が湧いたのである。暇が出来ればインド哲学書あるいは仏教書を読んでみたい。
ここ最近は老眼で読むのが非常に疲れる。
[2003.05.24]
私のつぶやき パソコン雑感
● パソコンの私から見た歴史 ●
大学2年生、日立製作所研究所にアルバイトで小型電卓の回路設計をした。ルールを踏まえた回路設計なので私にもできた、小型電卓のまだない時代。
建設会社に入社した頃、そろばん+計算尺。頑固な私は廻りが小型電卓を使ってもそろばんを使用していた。建物の面積計算等を手計算していたが、ついに小型電卓を購入。
その後、CAD化電算委員に選ばれたがキーボードを触ることを拒否。独立開業して、いたしかたなくパソコンと遊び始め、現在に至る。
しかし、CADでは図面書けず、希少価値になりつつある手書き図面に徹する。元いた建設会社は、CADで図面書けない者は、設計部には不要との話を聞いた。
● パソコンへの思い ●
パソコンは、産業革命に近い変革を起こす可能性が高いと思う。情報を運ぶ交通手段を無意味にし、百科事典の置き場さえなくしてしまった。パソコンではその百科事典も司書付きである。我々の物を造るときの手も、単にキーボードを叩けば済みそうな時代がもうそこに来ていそうである。
こんなすごいシステムだから功罪は当然出てくる。考える人はより広く深く考え、考えない人はキーボードとの格闘のみに終始しそうである。
パソコンは、今後、人間の世界にどのような変化と功罪をもたらすのであろう。
● 将来でのパソコン 私の利用法 ●
2年ほど前から、「バーチャル建築設計事務所」が確立できないかと考え始めている。そのためHPを1年半前に立ち上げた。まだ名の知れた所に事務所があるほうが信用につながる時代ではあるが、実力と事務所の有無は本来関係ない。個人営業の場合、特に支出の大きい家賃をなくせれば競争力が生まれる。インターネットという、すばらしい、世界に開かれた情報システムによりクリアできないかと思っている。
又、効率性だけを重視するのではなく、そうなることにより、そのゆとりを人と人の直接的な潤いのある関係に役立てたい。
机の前に座り、パソコンと対話しコラムを書いているだけでは当然何も生まれない。もう少し、いや相当大きな何か(今はわからないが)をしていかなければ。簡単なことではない。……本当にそう思う。しかし挑戦したい、 …挑戦したい!!!
あとがき
もう少し個人営業の仕事が成立しやすい世の中が良いと思っている。会社組織が多すぎると全体的に個人の自由が縛られすぎる嫌いがあるし、経済効率ばかり考えがちになりギスギスしやすい。個人営業の割合が高まることで、潤いが出てこないかと期待している。
あとがき2
3,4日前、友人に練習用にしたらよいと彼の古い自作PCをもらったが1日でマザーボードを壊したようだ。すると一昨日彼が大変な思いで私の古いPC部品を利用して動くようにしてくれた。……ありがたい。しかし、その日の夜に今度はグラフィックボードを壊したようだ。パソコンキラー!……本当に申し訳ない。昨日報告に行くと彼の疲れた顔、自分で自作PCを作る決心をした。
[2003.05.23]
私のつぶやき 住宅建設
● 総工費 X円 ●
最近、ご予算はと聞くと「総工費としてX円までとしたい。」との返事を受けることがたびたびある。右肩上がりでない時代、住宅建設計画に関わる費用を正確に把握したい気持ちは良くわかる。
しかし、建築主の言う総工費とは実際どんな項目が含まれるのか判断ができず、工事費としていくら使えるのかわからない。そうすると設計もしにくい。そのため、最近簡単な資金チェックリストを作成した。余り詳しすぎるのも使いづらいし、この程度が良いかと思い作成したが今後使用しながら改良したいと思う。
掲載資料は、一つの参考例(工事以外の費用は未記入)
総工費としての項目はどんなものが考えられるか、思いつくまま金額の大小を考えず下記に羅列してみた。分類は各社違うので注意のこと。
(建築本体工事費) 建築工事、設備工事(屋内の排水、給水、ガス工事)、電気工事、空調工事
(付帯工事) 屋外設備工事、下水管引き込み工事費及び申請費、給水本管取り出し工事及び局納金、冷暖房工事、杭工事、外構工事、解体工事、造園工事、電柱移設代
(諸費用) 敷地、地盤調査費、設計料、確認申請手数料、契約印紙税、工事中の火災保険料、金融公庫申請費、消費税
(諸費用) 減失、表示保存登記料、抵当権設定登記料、不動産取得税、電気製品購入費、カーテン代、家具購入費、引っ越し費用、仮住まい費用、融資関係諸費用、地鎮祭、竣工式費、NTT電話取り付け費
(不測の事態による別途工事) 地中障害物撤去工事費、浄化槽撤去工事費、諸官庁行政指導対策費、近隣対策費(目隠し工事等)、電波障害対策費
参考に思いつくまま羅列したが、工事費+設計料でX円であれば話は簡単であるが、総工費と言う場合は、建設計画に関わる諸費用は多岐に渡るため大まかにどの程度を総工費と考えているかお互いのすり合わせは必要と思う。
( 小話 )
以前、給水本管取り出し工事(道路内の水道本管から宅地内の水道メーターまでの水道局が行う工事)金額を明確にしてほしいと強い希望があったことがある。公である水道局の仕事のため事前には工事金額がわからない。水道局と渡り合ったが無理で、結局一般的な金額と判断した「35万円程度」と返事を建築主にせざるを得なかった。ところが実際水道工事が終了し水道局から建築主への請求は100万円を超えた。建築主からのクレームで同じ水道局に掛け合った結果、道路が都道であり一般の区道や市道とは道路掘削、復旧の仕方、面積、深さに対する規準が違いそのような金額になったことが判明した。
さすが水道局と思ってしまった。
前回の話し合いの時場所まで言ったのだから、その時、都道の場合は規格が違うと一言言ってくれればと思う。
結局、建築主に何とか納得してもらい支払いしていただいた。
現状では建築に関わる工事費を全て明確にするのはほんとに難しい。
[2003.05.22]
私のつぶやき 雑言集
● 時の刻み ●
僕は腕時計をしない。おそらくしなくなったのは脱サラしてからだと思う。理由はある。誰かの随筆で、「サラリーマンのイメージは時計」という一節があった。詳しくは忘れたが、サラリーマンは時間で動くことが主体である(9時に始まり5時に終わる等)ということだと理解した。それで脱サラしたときに時計を外しそれ以来使ったことがない。
人それぞれは個々の体内時計があり、その人の一番具合の良い時の刻み方がある。それを最大公約数とは良いながら一つに集約して、決まった「時の刻み」方を強制するのは非人間的であるとの概念が基本的にある。
しかしながら、一つの目標に向かっているときに一人だけ自分の「時の刻み」を主張するのもどうかと思う。
[2003.05.21]
私のつぶやき 雑言集
● 落ちこぼれの定義 ●
高校生の頃、「落ちこぼれ」の記事が紙面に良く掲載された。その時「落ちこぼれ」とは何だろうと考えたことがある。生き方や評価判断が一つ(大学受験勉強の意義を考えると一つの生き方、評価に近い)に近いと仮定すると、昔、ハツカネズミが輪に乗り、それを廻しながらチョコチョコ同じ位置で走る姿を連想し、人々が巨大なローラーの上を皆で歩き、走っている。早く走りたい人、一番早く先に行きたい人が多くなればなるほどローラーは早く回る。そうすると遅い人はそのローラーの廻るスピードに遅れ、その大きなローラーから転落。それが「落ちこぼれ」のイメージ。
後戻ることができにくく、深く考えることよりも、早く、効率よく、他から有効な考え方もどん欲に表面的にでも良いから取り入れることが良しとされる時代であればそのような
イメージとなる。
一時、そのローラーのスピードアップに対してブレーキを掛けることができないかと思っていましたが、掛けるのは難しい。30代半ばのころ、それではローラーを一つではなく、いろいろな大きさ、形、色の物がたくさんあれば、一つのローラーで落ちこぼれそうになれば、違うローラーに乗り移り、そこで自分のスピードで歩めば良いのではと思い始め違うローラーがたくさんある社会にすれば良いと考え始めました。それが、脱サラの一つの小さな理由でもあります。前にも書いたように、そうはうまくいかないのが現況ですが………。
今の若者は我々の若いときに比べて、もっと大きく、どんどんチャレンジしている人が多いようで頼もしく感じています。
[2003.05.20]
私のつぶやき 住宅建設
● 地鎮祭 ●
住宅を建設する場合、地鎮祭、上棟式、竣工式等の儀式を執り行うかどうか建築主は迷う。又、費用はいくら必要か、そもそも建てる住宅に直接寄与しない儀式に費用を掛ける必要がほんとにあるのか。建築主にとっては悩ましい問題であることが多い。
建築の儀式は工事契約書には記載されず建築主が自主的に行うものであり、建設会社より強制されることは基本的にはない。良心的な建設会社は「儀式を行うかどうかは、お客様が決めていただければ結構です。もし、行う場合は、様式及び費用はお客様が決めて下さい。アドバイスやご協力はいたします。」と言うに違いない。しかしこれでは何となく後の工事のこともあり、執り行った方がよいのか実際迷うと思う。
では、何も儀式をしなかったとき、後で損をするのか。
契約上にも関係ないし、良心的な建設会社であれば関係はないし、あってはならない。
住宅メーカーの場合は余り建築の風習を引きずっていないため行わない場合も多いと聞く。古くからある建設会社は儀式をしてほしいのが本音である。心付けをいただくためと言うよりは一区切りの気持ちのためと思われる。
私の場合は、どうしているか。
地鎮祭だけはできるだけ行うよう建築主に御願いする。それは、今から建築主、施工会社、設計事務所がみんなで力を合わせ、一軒のすばらし家を心を一つにしてここに建てるのだという気持ちを共有するためである。
工場製品でない手づくりの家である以上、人の気持ちは大事だと思っている。
費用は心付け含め、10万円〜40万円程度で一般的に行う。
建築主、建設会社が直に費用や規模を話し合うと、お互い本音で話し合えないので最初から私が積極的に関与する。両方の本音を探りながら納得のいく形で話をまとめる。
上棟式、竣工式は建築主の気持ちを尊重するので、それぞれである。
(地鎮祭の簡単な説明)
地鎮祭とは、その土地を守護する神をまつる儀式。地鎮祭の式場は、四隅に笹付竹を四本建て注連縄(シメナワ)をして、神官が儀式を行う。建築が滞りなく成し遂げられて、敷地と共に永久に安らかにあるように祈願する儀式である。
[2003.05.19]
私のつぶやき 雑言集
● 白いキャンバス ●
若者へ残せるのなら、広い広い真っ白なキャンバスを残したい。好きなところに好きな絵を描けるように。
大人の大事な役目の一つは、若者へ真っ白なキャンバスを残すことではないだろうか。残すと言うよりは正確には、真っ白なキャンバスを造り、見いだし、残す。
今の世の中、イタリアのウフィツィ美術館ではないが細部の細部まで白いところがないまでもデザインし描ききっている。経験豊かな大人がしたことだから、若者が自分のキャンバスを見つけるのは大変な気がする。若者が頑張り、少し手を伸ばせば手に入る白いキャンバスを、大人がベタベタに塗った壁の向こうに不完全でも創り出すこと、あるいはちょっとした小さな裂け目を手で広げてやり向こうの白いキャンバスを少し見せることが大事ではないか。普通の人は簡単にはできないが、実力のある人であれば可能だと思う。
そうすることで「頭脳補助機械」であるパソコンが普及し経験や積み上げた知識の価値が下がっている現在、老人と若者の良い関係が生まれるのではないか。
難しい話ではなく例えば私の場合、子供がいないので可能になったのだが建設会社を途中退職し独立開業した。そんな男が、それなりに生活上成立し、尚かつ、自分の考え方で生きてゆけることを証明すれば、後に続く人も出てこよう。それが私にとっての小さなグレイ色の残せるキャンバスであると前から思っている。
あとがき
ウン!……………現実は、今のところ実現していない。超低空飛行の経営で、その上共働き。髪結いの亭主の身分までは行ってないが、視野には入っている。悲観はしてないし、あせってもいない。金、金ではなく、受けた仕事は自分なりにきちんとやりとげた上での成立を目指している。私が希望したことは一度もないが共働きだし、子供もいない、いろいろな人にそっと助けてもらってはいる。口で言うほどには格好良くないのが今の現実ではあるが。
髪結いの亭主も いいな〜!と思いながら…………。
[2003.05.18]
私のつぶやき 住宅建設
● 土地の選定 ●
新築住宅を土地も含め計画する場合には、建物よりも土地の選定は重要な要素と考えている。建物は改築すれば相当変えられるが、土地環境含め自分ではどうしようもない。特に土地環境は何十億、何百億だしても買えない物なのである。
浅草みたいな下町、田園調布のような町、川の側、山の中、海釣りがすぐ側でできる場所、狭くても都心の土地、子供の教育に相応しい町等々、家族の生き方や考え方に合う場所を探したい。環境は自分では買えない、変えることができない物だから。私はこれが一番重要な要素と考えている。昼間みるだけではなく、夜、雨の日も行ってみるべきである。一度住んだ土地はそうそう移れない。
又、住所で、沢、堤、浦等が付いた地名は、昔、水があったところであることが多い。そのような場所は地盤が悪く湿気が多いことがよくある。昔、田圃であった土地も湿気の多い場所である。地盤が悪いと木造の場合はベタ基礎程度で済むが、コンクリート住宅では杭が必要になることが多い。その杭の金額は一般的に数百万になる。
山の中腹を段々に造成したところは、一般的にはその敷地の山側は切土で固いが、谷側は盛土で地盤は軟らかい。そのことを考慮して建てないと問題が生じることがある。地盤が悪いから止めた方が良いというのではなく、地震の時、揺れがひどかったり、杭が必要になることがあると言うことである。
できれば、その土地の近所の人に過去冠水したことがあるか聞いてみるのも良い。私は設計する前にほとんどの場合聞くようにしている。もしたびたび冠水したことがあれば1階をほんの少し高くする。今は治水も良く大雨で冠水する場所はそうはないと思うが。
その土地に建っていた建物によっては、地中に障害物がある場合がある。何かを造っていた商家などはコンクリート水槽みたいなものがあったり、一度はコンクリート製の大金庫と隠し部屋があったことがある。そんなものがあると撤去に数百万はかかるし、今度建てるときには撤去した部分の地盤の耐力がないため杭が必要になる。地上だけ見てもわからないから始末が悪い。怪しいと思ったら簡単な地盤調査をした方が良いが少し費用がかかる。
十分に調査することは相当費用がかかるので一般的には不可能ですが、良心的な、経験豊富な設計者であれば可能性としての範囲ですがアドバイスしてくれると思います。実際には設計者であっても費用をかけて調べないとわからないのですから可能性としての話ししかできないと思いますが。
都市計画道路が土地の一部に指定されている場合もあります。そんなことを黙って売るひどい不動産会社はないと思いますが、建物に制約があるのと都市計画道路が実際に施工される場合には指定されている部分は強制的に道路になります。
昔のお屋敷をミニ開発した場所は、よく真ん中にある道路が私道で、仮に5軒の土地があれば、その5軒の共有の土地になっている場合が多々あります。その場合その道路は公の物ではないので役所では管理してくれません。舗装も下水道が壊れたときもその5軒で金を出し合い自分たちで行うことになります。
まだいろいろ留意した方がよい点はありますが、又、機会があれば書くことにします。
[2003.05.17]
私のつぶやき 雑言集
● ホームページを見ていただいている方へ ●
今日も雨、又、文章が迷走しそうです。
ホームページを見ていただいて感謝しています。このコラム欄を書き始めて約1ヶ月、自分の思いを綴った文章を一人でも読んで下さる方がいることは感謝に堪えません。私の素人文章が一人でも多く、楽しんでいただいたり、何かのヒントになったりすればと思っています。
自分に正直に、読者に媚びることなく、できればそれなりの気品を持つ文章を書きたいと願っています。
私が山口を離れた時から、父は他界するまでの約20年間、毎月1度手紙を寄越してくれました。その後は、母が80才を越え年齢のため便箋にミミズが這うような文字で半分は解読不能になるまで毎月寄越しました。それまでに一度だけ、三下り半で良いからとの母の希望で「元気に仕事をしています。」と言う1行の手紙を送り怒りの電話が母から来たこともありました。
手が震え手紙を書くことを母がギブアップして初めて両親への感謝の気持ちが湧き、それからは私が母へ手紙を書き始めましたが書くことがなく1枚の便箋を埋めることさへ大変でした。母も他界した今は、「今日は買い物で豆腐を買いました。その豆腐は球状をしていて…・」とか、その日のことや、自分の見た物、考え、頭にきたこと等、好きに書けば十分役目をなすことは今の自分では理解できます。遠くへ親がいる若者は、気力があればたまに親に手紙を書いてみることも良いことです。恥ずかしがらず。もう私には送る親はいません。
親とはありがたいものです。残念ながら私には子供はいませんが、もし遠くに子供がいたら父の手紙のことを思い出し必ず手紙を書いているでしょう。書く相手がいない今、皆様に向けて書くことにしました。
何を書いて良いか悩み続けた母への手紙が訓練となり書くことが苦痛でなくなったお陰でこのコラム欄を楽しく書いております。建築の話はともかく雑言文であればいくらでも書けそうです。私が楽しんで書くことで皆様が少しでも楽しんでいただければ幸いです。
今日も雨、やはり、しんみりした文章になってしまいました。早く晴れてほしいものです。
[2003.05.16]
私のつぶやき 戯れ言
● 緒方様方高林 ●
何度か、私の名字の前に「緒方様方」と郵便局で赤書きした手紙が届く。結婚当初から表札は高林と緒方(妻の旧姓)が列記されている。勿論いまでも。
妻がある日忽然と「高林」に早変わりするのはおかしい。20数年両親と共に築いてきたものを捨てるようで好ましくないとの私の主義である。妻はいつまでも他人である。だからこそ意志疎通に努力すべきだし、自分と育ちが違う者同士がお互いを尊重し新しい生活が築ければ良いと思う。
しかし、これが大変なのである。意志疎通には会話がいる。話好きの私でも昼間十分誰かと会話した後、夕食時に妻に長々と話しかけられると…・・テレビがほしいと思う。…・・テレビがなく2人で食事すると逃げ場が…ない。私の家にはテレビがないのです。
みなさん経験あるでしょう。
最近右の耳から聞いて消化せず左の耳へ抜ける技術を修得し、妻の言葉の最後の部分にのみ反応するすべを覚えたが、時々反応の仕方を間違えて………
理想と現実のギャップを埋める努力はしています。
妻にホームページにアクセスされないことを祈りながら……
[2003.05.15]
私のつぶやき 住宅設計のポイント その3
● 住宅は楽しく建てるもの ●
題名は決まったが、外は雨。自分では良くわかっていないが相当気分屋の性格のようで、雨の日はほんの少し憂うつな気分になる。妻は雨が好きだという、きっと先祖は雨蛙に違いない。自分で良くわからないものに自分の顔がある。自分の顔は理論的に把握できない。夜は走る車窓に移る自分の顔はいつもすばらしいと感嘆、それに比べ朝、明るいところでの鏡の中の自分は嫌になる。以前、台湾に行った時、違和感がなく妙な気分になった。妻に絶対一言もしゃべるなと言いタクシーに乗り、案の定、下りるときに中国語?で運賃請求された。その後、博物館の前庭で女子学生から中国語?で写真を撮ってほしいとカメラを差し出され、日本語で「いいよ」言ったら逃げられた。大変気持ちの良い台湾旅行であった。
夜、住宅でお客様に顔を美しく見せるには、お客様が玄関ポーチに立ち、自分が玄関扉を開けた位置に立つとすると、自分の後ろから外に向かって照明するような照明を考えることである。そうすれば、自分の顔は相手には暗めで顔に陰影ができ、車窓の顔のように美しく見えるし化粧が引き立つ。他方、お客様の顔は明るくよく見える。余談ですが。
気分の話に戻ると、僕は、晴れた日が好きだ。暑くてムンムンし、「うだる」気分も好ましい。少し変かな。快晴はウキウキする。又、開放的な広々としたところも好きだ。阿蘇の大草原はとても気持ち良い。
雨の日の話の瞑想、迷走。
ウム、!
住宅は楽しく建てることが大切です。最初にお客様に会ったとき、特に住宅メーカー等とそれまでに何度か接触された方に多いのですが、不安、不信が強く感じる顔をされた方が意外と多いのです。車、ステレオ等と違い、性能が不明確だし工場での厳しい検査を受けた商品でもない。仕立てた背広のように失敗したら今度は良い背広を仕立てようと気楽にはとても考えられない品物が住宅なのです。構造的に大丈夫か、騙されないか、手抜き工事をされないか、工事費以外の必要なお金も含め予算的に大丈夫か、この借金は自分たちの生活を破滅的にしないか、自分たちが思ったような家を建ててくれるのか等々、心配は当然、山のようにある。誰だって眉間にしわが寄る。
昭和48年頃と思うが、私の担当した現場の隣の住宅は、造り終える途中で壊していた。気に入らないので壊して建て替えるとの話であった。昔はあったようであるが、この時以来そんな話は聞いたことがない。住宅は2度と建てられないのが一般的である。
何でもそうであるが、気持ちにゆとりがあれば楽しめる。家に対する夢もゆとりを持って考えられる。例え実現しない夢でもそれなりに楽しめるはずである。一生に一度しか経験できない、又、誰もが経験できることではない住宅建設は、それなりに楽しく建てるべきである。それが、将来建てた家をかわいがり、人から見て家をより美しく風化してくれる。
では、我々建築に関わる者はなにをすべきか。建築主が伝える希望、表面的な予算を考慮するのは当然であるが、もう少し進めると、無から有を創り出す時に必ず起こる不安の一部を解消することにある。例えば、住宅メーカーはそのために展示場があり会社の規模がある。建設会社はブランド、実績があり、近くの工務店は長年の付き合いという信用がある。
設計事務所は何があるのだろう。特に小さな事務所はその責任者の信頼性のように思う。大金をある程度任せるのであるから当然である。「無」の時点でも信頼していただける自分を磨き造っていくことが重要なように思う。又、それを提示することも大事である。
横道にそれるが、このホームページはその一つですが、私にはこのコラムが一番の楽しみである。フランスの哲学者モンテニューのような大人物が自分の心の中を善し悪し含め披露するのとは違い、少し書き過ぎかとは思うが止められない。私が楽しむことが、見る人も楽しめると一徹に思っている。住宅設計も同じ。私も顧客と楽しむ。それが良い住宅につながる。
3年前、0才から3才までの子供がいる住宅を設計した。一目でその子供達が気に入り、打ち合わせの時、子供達とワイワイするのが楽しみになった。そうなると親に対するのではなく、この子供達が楽しく住める家にしたい、将来、子供達がすくすく育ち好青年になってほしい、それがこの家族の幸せにつながる。そのための家は………。しかし、いたづら心も起きる。中の子はやんちゃな男の子、やんちゃしすぎた時のために室内に面する階段のところに、床柱を壁から少し浮かして設け、長いひもでその子を結わえられるように考えた。デザイン的にもうまく処理したので、親に話したが信じてもらえたかどうか。今年伺ったら、一番上の子はその柱を天井まで登って見せてくれた。これには驚いた。
住宅建設は、多方面に渡り楽しめる。生活の仕方から各インテリアまで。したがって、住宅建設の依頼先を住宅メーカー、建設会社、工務店、設計事務所のどこに頼むにせよ、信頼ができ自分たちの不安な部分が少なくその分、楽しめるゆとりがもてることを条件に探す方法もある。
ただ、人により、不安内容、度合いはそれぞれ違い、全ての不安が解消されることはないとは思います。
建築は残念ながらまだまだブラックボックスの多い業種であり、出来上がった物の不完全さのレベルもまちまちです。時間と気力があれば、自分たちにあった建設会社なり、設計事務所なりを探すことも一つの方法です。
今日は、雨。迷走した頭で書いた迷走した文章になりました。さすがに迷走文はしまりがなく長くなることを実感。!!!
[2003.05.14]
私のつぶやき リズミカル戯れ言 4
会社への入社当時、自分はサラリーマン向きの人間と確信していた。今思うと………
● サラリーマン向きの人間と思いきや その1 ●
僕は、とにかくなまけもの。大学受験、頑張って入るのではなく、頑張らなくても入れるところを選ぶ主義、で親と騒動。会社に入っても疲れるとたまに午後出社。もちろん残業は人の1.5倍程度はする。しかし…新婚間近の午後出社の時、妻に、「貴方はサラリーマンじゃないの。」「会社は9時始まりじゃないの。」とまじめな顔で言われ珍しく反論する考え方が頭に浮かばず仕方なく朝出社、情けない。 それ以来、午後出社は一度もなし。
● サラリーマン向きの人間と思いきや その2 ●
子供の時から天の邪鬼。左を向けと言われればどうしても右を向く。新入社員のころ、「明日は必ず9時までに出社しろ」と上司が言う、必ず遅刻をする事を心に誓い遅刻。9時に一緒に出かける上司は右往左往、悠々とその場でその日必要な設計図面を焼いていたら、あきれられてその後遅刻の注意は一度もなし。お陰で毎日遅刻。
なぜか……それは、昔は特に定時出社だと満員電車で疲れる。疲れたまま仕事をしても能率が上がらないから15分程度づらし出社するのが正しいと確信していた。早朝出社も考えられるが、僕は夜型人間。
● サラリーマン向きの人間と思いきや その3 ●
新入社員、初めての和食屋での忘年会。ナンバー2の開会の辞、飲み食べ始めて20分、咳払いの後ナンバー1の挨拶、皆一同、膝を正し箸を置く。…気に入らない、、、、楽しく食べ始めた時に失礼なと思いつつ…、やおら、側にいた女性の膝を借り、膝枕で寝ころぶ。せつな、両側に15人程度づつ居並ぶ長座卓の上を、ナンバー1〜新入社員へみかんが飛んできた。 距離があったお陰で当たらず。この時、私はしらふ。
今、私がナンバー1だったら、尻を思い切りたたき、その場で解雇。
このような人間が、よく16年間勤められたと思うかも知れないが、今思うと廻りが大変なだけだったのではないかと思う。僕にはとても楽しい16年の会社生活だった。
この場を借りて、御迷惑を掛けた先輩諸氏にお詫び申し上げます。
あの時ナンバー1だった方は、定年退職され、まだお元気で仕事をされています。懐の深い方で年賀状以外でも時たま勤めた会社近くでお会いすることがあります。
これ、実話ですが、依頼主の遠ざかっていく足音を気にしつつ………書きました。今は、とてもまともです。これも事実です。
[2003.05.13]
私のつぶやき 雑言集
● 科学文明の後に ●
加藤周一氏が確か、20世紀は科学文明の世紀と言えるのではないかとの話を随筆で書いていた。私もその意見には賛成である。19世紀後半の産業革命に始まり科学の発展が人類の幸せを実現するとの確信に満ちた20世紀、その確信のもとに世界が走り続けた世紀。しかし、疑問を感じ始めた20世紀後半は次のテーマを探し、さ迷い始めた。
ギリシャにおいて、科学的、理論的な哲学の全盛の後、その時代の背景に対して信憑性が疑われ始めた結果、ストア学派、エピクロス派の人の感情、感覚、理性を大事にした学派が興隆した。そのことを考えるとき、次の世紀、21世紀はそのような感情、感覚、理性を大事にした考え方が主流とは言わないまでも重要視されていくのではないか。
その時は、現在のパックスアメリカーナのように、国土の広さ、人口、経済力、軍事力等を持つ国だけではなく、日本のような小さな国でも世界の中心になれる可能性があるのではないか。昔のギリシャのように。
[2003.05.12]
私のつぶやき 日記
● 祖父の思いで ●
父の法事で山口へ行き祖父を思い出す。家が2軒有り、その1軒に祖父が住んでいた。
子供の頃、私が住む母屋は汚すと母がうるさく、祖父が健在の間は祖父の家で遊んでいた。雨の日は縁側で鉄ゴマを廻しお陰で縁側はニキビのあばただらけのよう、その上、部屋の中でベイゴマを廻すなど好き放題していた記憶がある。しかりもしないやさしい明治5年生まれの祖父の若い時の写真がたまたま出てきて、父より随分と「おしゃれな」な祖父の一面を初めて知った。家の格式の違いから全てを捨てて祖母と駆け落ちして山口へ住んだことは聞いてはいたが、おしゃれとはほど遠い父からは想像できない一面を知って何となくうれしくなった。
写真: その中の1枚 海水浴あるいは川遊びか。 右上が祖父。 明治35頃の写真と思う。
[2003.05.11]
私のつぶやき 住宅設計のポイント その2
● 夫婦寝室 ●
夫婦寝室は場合によっては難しい。一般的にはベッドであれ、布団であれ、夫婦寝室は一間である。大きな住宅も増え空間的に夫婦別々の寝室を確保できるようになってきた。若いときはともかく、ある程度の年齢になると別々の部屋にそれぞれの寝室を確保することは悪くない。ねる時間帯も違えば朝の寝起きの動作も違うであろうから良い場合も考えられる。
しかし、いままで一間で就寝していた場合、夫婦のどちらかが一間を希望する場合は別々の寝室は好ましくない。夫婦といえども他人である以上お互いの感情は大事にすべきであると思う。そのようなケースでも、もしどうしてもと言うことであれば、体半分が見える程度の固定の間仕切りを設置する考えもある。可動はどの程度閉めるかの時にお互いの感情状態により誤解を招くので好ましくないように思う。
住宅での希望を聞くと、男性はほぼ8割が風呂、屋上、予算、時に書斎にしか興味を示さない。女性はその他の部分全てに興味を示す。家は女性が管理していることを如実に示している。しかし寝室はお互い遠慮があるせいか意外と希望が強く出てこないように思う。私が思うに、夫婦といえども距離を置きたくなることがしばしばあるが、距離を常におきすぎると永遠に近づかないことになりかねない。不快なことがあろうと夜は一部屋で常に過ごさざるをえないのは良いことかもしれない。
私が設計するときに考えること:
日本の場合、ホテルのスイートルームのような使い方をする人はまれである。一般的には夜しか使用しない。したがって余り大きな部屋にする必要性はないと思う。それでもベッドであれば10畳程度、和室であれば8畳程度がほしい。布団、ダブルベッド、セミダブルベッド×2、セミダブルベッド+シングルベッド、シングルベッド×2の組み合わせがあると思うが、ベッドの場合は余り部屋が狭いと掃除がしにくくなるので注意を要する。
ベッドの場合、ヘッドボード側の窓はよく出窓にする。ベッドに入るとき頭の方に壁があると圧迫感を感じる。又、頭の上にちょっとした物が置けるのは悪くない。
子供部屋は育ち盛りでもあり南側に配置すべきと思うが、夜しか使わない寝室は南側でなくて良いと思う。但し、北側窓しか確保できないような場所だと冷え込むので避けた方が良い。朝日の入る東側に窓があるのは、朝のすがすがしい日を浴びて起きられるで気持ちがよい。寝坊の人には好ましくはない。
交通量の多い側の窓は良くない。昼間の音の感じと、夜に受ける感じはずいぶんと違う。昼間はほとんど気にならない音が夜は異常に気になる。
一般的には落ち着いた雰囲気が良い。4面の壁とも白っぽいクロスにするよりは、少しトーンを落としたクロスにし、予算があれば1面程度は板張りとするのも良い、落ち着く。照明も白熱球のほうが落ち着く。少し気分的に遊びたいときは、家の中でただ一ヶ所天井を見る部屋なので、天井をおもしろく考えるのも良い。
収納は、可能であればウォーキングクロゼットと普通のクロゼットの両方を確保したい。ただ、家具が好きで英国家具、イタリア家具等々を置きたい人は、造り付けの家具は位置、扉形状には留意したい。又家具は上部に飾りがある場合が多いので、天井高さも普通より高く確保したい。そのしないと家具を置いた時、寸づまりのイメージがする。
壁掛けエアコンを設置する場合、寝たときに顔に直接に冷暖房風がかからない位置に設置したい。
もう少し書きたい気もしますが、後1時間で父の法事のため電車に乗りますので今日はこれで失礼します。又機会があれば夫婦寝室について書くことにします。
[2003.05.10]
私のつぶやき 雑言集
● 絶対愛 ●
最近読んだ本で、遠藤周作のキリストの後半生物語とキリスト教の曙時代の本2冊を読んだ。とても良い本であった。
キリストの教えのように左の頬を打たれれば右の頬を出せとは容易にはできないが、それは絶対の愛ではないか。キリストと信者とは、母親と子の関係に似ていると思う。絶対的な愛。この絶対的な愛は人に取って重要な気がする。絶対的な愛は、時に罪さえも受け入れてしまうが、特に自己確立が出来ていない子供にとり、それは成長の上で必要なものでないかと思う。まだ善し悪しが明確にわからない子供にとってどんなことがあっても絶対に見捨てられないとの確信をもてることは大事だと思う。
この絶対的な愛は男性にはもちえない感情ではないか。ガンジーの無抵抗主義もこの範疇に入るかも知れないが希有なことと思う。
話は変わるが、設計も愛と関係すると思う。建築主を好きになることにより一緒に建物を設計できる。一緒に積み上げ設計した建物は、建物の美しさや醜さとは関係なく愛される建物になる確率が高い。愛される建物は例え最初が醜くても、美しく風化していく。(自分が関わったと思う住まいは、大事にしていく。)そのため設計者は建築主の顔に$マークを見るのではなく好きになることが重要、そして自分の設計を好きになることが重要である。そのために努力すべき、そのために自分を高める勉強をすべき、そのために人を愛せるようなゆとりをもつべきだと思う。
[2003.05.09]
私のつぶやき リズミカル戯れ言 3
● あんな重たい金属製の飛行機が飛ぶはずない? ●
飛行機に乗るのが嫌いだ、それも昔から。
どーしても、「飛行機」が飛ぶものだということが私の体では理解不能。ジェット噴射して一生懸命あの重みを持ち上げて前に進んでいるだけである。飛行機が疲れたときはどうするのだろう。電車は良い、レールの上で一休みできる。電車は非常ブレーキを掛ければ下りたい時に下りられる、飛行機はそうはいかない。
海外、札幌、鹿児島へは、覚悟を決め、後はあきらめの境地。……だが気流の関係でガタガタがたがた……頭の中の思考は停止。
最近は忙しい妻は飛行機で、暇な私はトコトコ電車がたびたび。当然出発、到着時間が違う。嫌な物は嫌なのである。
そう言えば、山口の父も乗らなかった。それが理由ではないだろうが私の結婚式に、「結婚式を東京でしたいのなら俺は行かない。」と物静かに無骨な父が言い、良く知っている間柄(親子)だから理由も聞かずに妻のご両親に山口(私の故郷)での結婚式を納得していただいた。いまだもって本当の理由はわからないが、考えれば変な父である。その明治35年生まれの父の遺伝で飛行機は乗らないのかも。
● 変な父 ●
明治35生まれの父。学生時代覚えた英単語を忘れないように辞書を食べたとか。本人が言ってたし、数十ページ破れている証拠の品もあった。胃は本当に丈夫な父であった。大学を卒業し、軍隊へ。将校進級試験で「へのへのもへじ」を書き進級できず、給料が上がらず憤慨したと母が言っていた。その後どうしたのと母に聞くと、演習の時必要もないのに水溜まりに「伏せ」の姿勢をし、それが評価され将校になったとか。必要もないのに汚したと、又、母が憤慨。ゆったりした時代。もうすぐ父の17回忌。
私と違い無口な父。腹の据わったこわい父。うるさい母が居ないときは父と2人の平和なひととき。最近、父と静かに2人でお茶を飲みたいと時々思う。
今日は私の誕生日。これからは年がマイナスになる誕生日でありますように………
[2003.05.08]
私のつぶやき 住宅設計のポイント 子供室
● 子供との関係 ●
住宅の間取りを考える場合に、親と子供の関係は大切な問題である。この厳しい世の中、勉強してもらうために勉強部屋を確保するのは一つの選択とは思うが、子供専用の小さな寝室のみにし、例えば階段室を広げてそこに勉強コーナーを設けることだって良い方法である。
一番気になるのは、子供が外から帰ってきたときに親の居る場所を通らずに、子供部屋に行ける間取りである。子供も一人の立派な人間として対応すべきだが、やはり経験不足によるいろいろな問題が生じる場合がある。そのため高校生までは、出入りする場合には親のいる場所(例えば、居間、)等を通過していく間取りも十分考慮に値する。
プランの制約が仮にあっても2階に夫婦寝室、1階に子供部屋は良くない。夜の出入りがわからないので、できれば夫婦寝室は玄関脇が望ましい。子供を信用しないわけではなく、人生の経験不足による子供への被害を食い止めるためにである。
子供部屋を広くとるのも考え物である。広ければ広いほど居心地が良い。そんな子供部屋を確保すれば、子供は部屋から出てこない。狭い子供部屋であれば用事のない時は居間で時間を過ごす可能性が高くなる。そこに家族の会話が生じ一つの良好な家族関係が生まれる素地ができる。狭ければ物も整理するそれも工夫しながら。
大事なことは単に十分な子供部屋を与えることではなく、良好な家族関係を築ける、子供の創造性が豊かになるためにどのような子供部屋をその子供に確保すれば良いか考えることが大切である。
家とは単純に、居間、寝室、洗面所等の部屋の名前が付くものがあればよいとの考え方もある。しかし、そんな考えを全く捨て自分たちの家族関係を良好にするための設計手法も建築主の協力と理解があれば程度の差こそあれ可能である。
[2003.05.07]
私のつぶやき 雑言集
● 人の人生、自分の人生 ●
私は、何もしなくても退屈しない。自分の頭の中で絵を描いたり、短い物語を作ったり考え事したり、例えば「落ちこぼれの定義は?」「この世界に10人しか残せないとしたときの男女比率は?」「左の頬を打たれれば、右の頬を出すとは何が言いたいのか?」とか、何の益にもならないことを考えて楽しんでいる。
「人生とはどんなものか?」も考えた。これは哲学文ではなく私の頭の中での出来事です。
まず、頭の中に出てきた映像は、なぜかオペラ。16世紀頃の服装をした男女があの狭い奥行きのある舞台で所狭しと動き回っている。歌舞伎は劇場まで見に行くのにオペラは昔テレビでしか見たことがない。それも数得るほどしか。
「人生とは」主役のオペラ劇、準主役のいくつかのオペラ劇それに通行人程度の役の多くのオペラ劇で演ずることである……と。少し薄っぺらい感覚ではあるが。
星の数ほどのオペラ劇がこの世に存在し、その中で必ず、悪役、善役であろうが自分が主役のオペラ劇が一つあり、夫、親、子、社長等の役の準主役オペラ劇がいくつか、通行人等の端役のオペラ劇がたくさん存在する。それが同時に進行している。自分の死とともに主役のオペラ劇のみ幕となる。多くのオペラ劇の幕が閉まり、同時に多くのオペラ劇の幕が開いていく。人生………
[2003.05.06]
私のつぶやき 日記
● 高松で ●
私事で恐縮ですが、義母が2月に他界、その家の整理のため5月連休を利用し高松へ行きました。
家は市内から遠い高松空港近くの田園と少しの住宅地が混在し空がとても広く、田舎育ちの私には好ましい風景の場所にあります。今までは近所の方とお付き合いしたことのない私が、義母の他界と共に義母のお付き合いを引き継ぐ形でお知り合いとなり気持ちの良い滞在でした。秋には高知へ向かいの方と一緒に行く約束もできました。
向かいの家に猫4匹。猫大嫌いな私が何日かたつと「トラ、トラ、トラー」と話しかけるのです。その猫の私への接し方が良いのか、その猫の素直さが気に入ったのか、とにかく「かわいい」のです。もちろん名前通り黒白縦縞模様の猫です。その猫含め3匹が車の通らない家の前の道路にそれぞれ好きな格好で5月の高松の強い日差しのなかでまどろんでいるのです。何とも静かな日々でした。
右の写真は、当事務所設計ではありません。家のすぐ近くの工事現場です。このあたりでは多い昔風?の建て方の住宅で、義母の他界と共にお知り合いとなった棟梁の弟子の大工が建てているそうです。もちろん真壁方式で昔は普通であった赤土の壁です。………坪当たり単価60万円程度であろうとの話です。全くうらやましい。
空の広い高松から、又第2の故郷である横浜に帰ってきました。又、せっせとコラムを書きますのでよろしくお付き合い下さい。
[2003.05.05]