2003年04月のひとりごと


Columntakabayashi


私のつぶやき  建物心理


5月連休中は、コラムはお休みいたします。楽しい休暇を過ごされますように。

● 建物とリズム ●

建物の設計において、心理的なものも重要ですが、快適性を求めるときにリズムも重要な要素です。人間は自然にリズムを体に刻みます。そしてそのリズムで先を予想しながら動くのです。例としては、もし階段があり、その階段のけ上げ(1段の高さ)、踏み面(段幅)の寸法がそれぞれ違えば、普通の人は1階分降りるまでに転んでしまいます。人は階段の一歩一歩のリズムを体に覚えさせ降りているのです。

又人間としての自然の動きに反するような動きを強要する建物の動線は緊張感か不快感を人に与えます。住宅の動線を考える場合、あるいは医院の動線を考える場合は、その点を考慮すべきです。


[2003.04.28]




私のつぶやき  住宅の設計 雑言


● 目に見えない部分の大切さ ●

建物で、目に見えない部分はとても大切です。内部の仕上げよりも大切と思っています。
なぜ!!
それは後で目視確認できないから、それは後で直すと大変な労力と費用がかかるから。


実際の話です。わかりやすくするため少し話が長くなります。

数年前、木造住宅の全面改修の設計を手がけました。建築主の依頼は、主に水廻りを充実させることと内装のリニューアル、その上今後20年ぐらいは住めるようにすること。
最初に建物をじっくり見るわけですが、2階の一部箇所で強引に揺らすと建物が少し揺れること、外壁モルタルのクラックが全て同じ方向でおきているのが気になり、事務所に帰り既存建物の構造図面を見て図面上では原因がほぼ掴めましたが半信半疑でした。

というのは、木造の強い大手住宅メーカーの建物であったこと、昭和52年竣工の建物なので、その頃は木造の構造組みは、図面があっても大工さんが自分たちの今まで行ってきた構造組みで施工するのが普通で、図面が間違っていても大工さんの方で対処していることが多い時代でした。だから実際の建物は構造図面と違う方法で施工している可能性があり私が考えたことが原因でない可能性が高いとも思っていました。
しかし、外部クラックは、構造的不安定からくるものであることは間違いないと思っていました。建築主には不明確な話なので話しませんでしたが。

お金がかかるので内装を壊して確認するわけにいきません。内装(壁、天井、床)を壊して壁の中を見ないと実際の構造組みが掴めないので判断できません。補強方法も出せません。補強の必要性が不明なため、その費用もわからず建築主に説明ができません。又、内装を壊して原因が不明であれば、その壊しと復旧費用を誰が支払うかの問題があります。それに建築主からは構造的に補強してほしいとは言われてないのですから。

1日中、この仕事を断ることを真面目に考えました。
結局、逃げるのが嫌なこと、木造に強い大手住宅メーカー施工であること、その設計のお陰で図面が完備されていることで仕事をしました。

既存建物の構造設計図を再検討し、問題点の箇所、もしその問題点が事実であれば補強したい箇所を補強方法と含め検討し、建築主希望のリニューアル以外に必ずその箇所の内壁を壊す必要があるリニューアル設計をうまく取り入れて設計しました。建築主には詳細は説明せずに、もちろん総予算を考慮して。
正規のリニューアル設計はホイホイとすぐできましたが、その構造補強設計検討が大変でした。予算的にも全ての内装を剥がすわけにはいきませんので、中途半端な補強で最大限の補強方法を模索することになったわけです。

結局、問題ある構造設計上の箇所は図面通りだったので、コスト的に高くない方法を検討し、良心的な建設会社のお陰で追加予算なしで梁補強と追加柱と筋違い補強をしました。外壁にクラックが発生しない自信は7割程度でした。
リニューアル工事竣工後、最初数年は毎年新年明けにご挨拶に伺いますが、興味あるのはリニューアルした外壁にクラックが発生しているかどうかで、玄関を入る前に必ず見ていますが今のところクラックはなく、もう大丈夫かなと思っています。

この仕事は、建築主が話がわかる方であったこと、良心的な建設会社がリニューアル工事をしたこと、既存建物の図面が完備されていたことが良い結果を生みました。建築主、施工会社、設計事務所の信頼関係が保たれることも重要です。


長くなりますが、では、補強をしない場合は壊れたか?

木造は、大きな地震でもない限り急激には壊れませんので、もちろん建物は当然傷んでいるでしょうが症状が現れたときに処置すれば壊れることはないと考えられます。後20年建物が持つかは不明ですが、仮に補強をしないでリニューアルしても外壁の同じ箇所にクラックが発生するだけのこととは思います。大きな地震が来ればどうなるかわかりまぜんが今まで20年間大丈夫だったのですから。
その建物の屋根材は軽い金属屋根(建築主の希望だってそうです。)ですので、構造的には非常に有利でした。まだ少し心配なので建築主には、将来和瓦等の重い屋根材に決してしないように御願いはしておきました。

この仕事は、建築主に水廻りの変更間取り及び内装はとても気に入っていただきました。私の方の頭の中は、構造補強がうまくいった記憶の方がほとんどの仕事でした。建築主と私の「思い」のミスマッチは、建築に対する素人、玄人の関係で当然で、これで良いと思っています。


住宅設計には、これが最良ということはないと思っています。極度に構造的に強い建物も意味はないし、例えば予算を考慮し20年持てばよい建物として構造設計できるわけでもありません。その土地の環境(地盤の強さ、地震の有無、風の強さ等々)、施工精度等により同じ構造強度レベルでも結果は違ってきます。費用がかさんで詳細な調査、検討が現実的にできない住宅設計は、ある程度は、経験と勘とバランス感覚(予算等も含む)に頼ることも重要な要素と思っています。

追伸:説明上、ミス設計の話をしましたが、この大手住宅メーカーの過去のたまたまの設計ミスであると思うし、この会社は大手住宅メーカーの中でも良心的なしっかりした信頼できる会社です。私とて、数字の書き間違い、細かなミスをしてきた可能性もあります。


長い話になりましたが、住宅という物は大きな物で、一品生産、かつ、いろいろな職種の職人が延べ何十人もが施工していくものです。工場生産品のように完璧にはできません。又そのために安全率をある程度みて造ります。
毎日いろいろな使い方をし、長期に使う「家」です。人の身体と同じでちょくちょく悪くなるし年を取るといろいろなところに支障がでてきます。建物はそのようなものであると私は理解しています。

それ故、竣工後のメンテナンスは重要です。造った施工会社がメンテナンスするのがベストです。そのため施工会社の選定に気を付け、又、工事中に建築主と施工会社の関係が良好に保たれるように気を遣います。………私は釘一本打てないのですから。

今日は少し長すぎました。ご容赦。


[2003.04.26]




私のつぶやき  日記


● 考え事での遠出 ●

基本的な方針が頭の中で固まらないとき、ふっと朝から遠出する癖がある。遠いところでは松本城天守閣、何度も行くところは箱根、犬吠埼。他に塩山、沼津、高尾等々、海か山が多い。

今日も、その「ふっと」の日で、ただ雨模様のため海は海でも葛西臨海公園へ出掛けた。平日で雨模様のためか公園は人影がなく、ぶらり出掛ける目的には十分であった。
帰り際、ふっと草陰を見るとタンポポが咲き、綿帽子をきれいに付けていた。

私のホームページ(このコラム)も、胞子が飛ぶように他の場所で新しい読者がどんどん増えていかないかなと思いながら………… 帰宅。

写真: 葛西臨海公園内 高林撮影


[2003.04.25]




私のつぶやき  リズミカル戯れ言 2


● 歌うことは罪か? ●

小学2年の学校音楽会、担任の先生「高林君は、音楽会では声を出さずに口だけ開けていなさい。」と、悩みのない年頃の僕は、口だけパクパク開けた音楽会。
小学高学年、ペーパー試験ではいつも通知票「5」(5段階評価時代)。ペーパー試験と歌の実習があるきはいつも「2」。 ひょっとして………ペーパー試験がなくて歌の実習のみでは、通知票「?」。
僕の長所は、いつも精一杯口を開け、大きな声で歌うこと。

社会人となり、お客として招待されたカラオケのある飲み屋。どうしてもと懇願され一曲。気持ちよく歌った後、気まずい シーンーーー。…… 普通はお客様に対して、せめて「まあまあじゃないですか」ぐらい言うのが礼儀では。?
それ依頼、飲み屋の玄関先で、「ここカラオケありますか」と聞く。


● 美しい姿や顔は宝か! ●  

ソクラテスが、美しい顔や姿は、その人の宝である。と言ったと武者小路実篤が「人生論」の中で書いていた。残念ではあるが…同感。読んだのは20歳頃だから気持ちの良い同感ではない。
そのころは、しっかりした人生を歩んできた人の顔も見分けが付かなかったが、最近、その顔を美しいと思うようになった。自分もそんな顔つきになりたいと思う。しかし若い時、もてたいのだからやはり元が綺麗な方が良い。親を恨むしかないか。


● 自分が一番、この自信の裏表 ●

僕は、昔から人に習うのが大嫌い。自分が思うように学び考えたい。スポーツでもそう。スキーも最初はうまい人に基礎を十分習う方が上達するのはわかっているが、絶対にNO。お陰で、ほとんどの斜面は滑り降りられるが美しくない。しかしそんな美しくない滑りが自分では嫌いでない。


[2003.04.24]




私のつぶやき  住宅の設計 雑言


● 雨漏り ●

西郷隆盛の鹿児島の家はいつも雨漏りし、直さないので妻に小言をいわれたとの話が本に載っていた。もし僕が設計した住宅で雨漏りしたときに、施主が僕の顔を思い浮かべ、「ニャッ」として苦笑してくれたら満足。わかりづらい表現だけど。
今のところトップライトのシール切れによるもの以外、雨漏りは1軒もありませんが。

昔から思っているけど、建物は雨漏りするのが自然というか当然というか、そのような物であると。それを技術と経験で一時的に防いでいる訳です。
例えば、和瓦葺きの屋根は金属屋根葺きのように緩勾配はできません。余り緩勾配だと風向きによっては雨水が逆流し重ね合わせた部分から水が侵入したり、風がなくても毛細管現象により水が侵入したりします。屋根勾配は、流れ長さやメーカーの製品、工法により異なります。

木造は雨漏り箇所が湿っていますので見つけやすいのですが、コンクリートの雨漏り箇所は一般的に見つけるのは困難を極めます。外部に面した水の侵入する箇所と内部に水の痕跡がある箇所は数メートル離れているのが一般的ですから、内部状況から想像して外部の水の侵入する箇所を見つけるのは大変です。

私は、コンクリート住宅の場合はコンクリート躯体が出来上がった後、適度に降った雨の日の翌日等に現場に行き、水のシミがないか見に行きます。もしなければ、その上に外部仕上げをするのですから、ほぼ雨漏りはしないと考えるわけです。

若い頃、会社の命令で住宅の沖縄進出を検討させられたことがあり、びっくりしたことがあります。その当時の沖縄の建物はコンクリートの屋根でも防水しないのです。要はスコールのような雨なのと気候により、雨水がコンクリートにしみ込み屋内に出てくるよりも、雨が落ちるスピード及び乾きが早いのだと思います。米軍の建物が建てられるようになり初めて防水の考え方が広まったと、その時、聞いた記憶があります。


[2003.04.23]




私につぶやき  楽しい写真


● 僕は、こんな写真が好きです ●

「何だろう」 「おもしろいな」 この子供は素直な気持ちで自分にとって一番良いロケーションのところで眺めています。
素直な心を持てば、素直な気持ちの目を持てば、相手に十分接近して相手に良い印象で、眺め、知ることができる。そんな気持ちを建築設計する上で忘れないようにしたい。

写真:朝日新聞 be on Saturday 2003.1.19 江口和裕撮影


[2003.04.21]




私のつぶやき 静かな雑言集


● 小さな子供達を見て ●

小さな子供達を見ると自然と顔がほころぶ。
どうしてだろう?

子供は、遺伝子情報という白紙のノートと鉛筆のみ持って生まれてくる。書き込んでいない白紙部分が残り少ない、時間もない大人達は、その続きを未来を子供達の白紙とこれからの長い時間に託すことになる。その気持ちの自然の表れであろう。だから他人の子供にも自然と顔がほころぶ。


● 愛することは難しい ●

愛されるものの顔は美しい。子供でも親の愛情が十分な子は顔が美しい。愛されていると感じている乙女はもっと美しい。人を愛することは、その人を美しくする。でも常に愛することはもっと、もっと難しい。


● 音楽を聴いて    ●

昔、シベリウスは暗くて嫌いだったが、この頃はシベリウスの交響詩を聞くと落ち着く。部屋を少し暗くしヘッドホンで聴く。
これも昔、カザルスの「鳥の歌」が夜ラジオから流れたとき、身体が…・、翌日早速銀座山野楽器に行く。今でもとても好きだ。
ホワイトハウスでのコンサート実録盤だが、名演奏家のカザルスにしては技術的には良くないのではと思うが、とても感情がこもっていた。
演奏というものは人に聞かせるのではなく、自分自身に心を込めて弾き、己の心の琴線と共鳴したときにこそ聞く者に感動を与えるのではないだろうか。


[2003.04.18]




私のつぶやき 住宅編他 その2


● 住宅の性能データ ●

住宅メーカーのパンフレットは、とても良くできている。そこに書かれているデータはまず事実である。そのデータに興味を持ちすぎるのは良いことではない。ほどほどの興味がよい。

例えば、気密性データを取りあげてみよう。気密性が高いということは、細かな説明は省くが室内の空調には良い影響を与える。この季節の花粉症にも良い。高気密住宅とは、隙間が5cu/1u以下。2cu/uが目標にもされている。1m四方の中に隙間が2cm四方しかないのである。高気密住宅だと今までのような自然のまま(自然換気)ではなく、計画的換気が必要になってくる。換気も機械に頼るまでいくと、僕からすると少し行きすぎのように思う。

この気密性の考え方は、もともと北米から来たものと記憶している。2×4工法が得意とする性能であり、厳しい環境の中の住宅であれば重要である。しかし、日本のほとんどの地域、あるいは環境劣化の激しい都心部以外は、温暖であり外は快適な環境にあり、空気も室内に比べて十分新鮮で、真冬は別にして何も外の空気をしっかり遮断する必要性などないと思う。

この気密性データは、竣工時の目標データである。建物は動く。人が室内を毎日歩き、風や地震で建物は微妙に揺れ、その結果建物は常に微妙あるいは時に大きく動いている。時間がたつほど気密性能は落ちているのである。出来の良くない建物であればその落ち方は急激と思われる。
又、我々の暮らしには、いろんな物や化学物質が入り込み室内汚染の心配は大きくなっている。外の空気で薄まる方がよいということも考えられる。そのため外の空気を大事にすることにより、環境の大切さも認識できる。

一方、快適な室内環境での温度一定を望む人に思う。その条件としても気密性は大事である。しかしながら人は極力服の枚数のみの調整でどこにいても活動できることが望ましい。寒い、暑いにある程度の抵抗力がある方が健康にも良いに決まっている。自分の体を怠けさせるべきでない。少なくとも壮年の時代までは。一定の温度で室内を安定させるのは健康人には考え物である。病院での長い入院の後、体がなまっていることを実感できるであろう。最近の会社のビル空調も非常に良く暑さ寒さも感じず、家に帰れば又同じ。途中の電車までも快適。これでは!
機械で強制的に温度を保つのではなく、少し温度差が出ても良いから極力機械に頼らない方法での温度調整機能を追求すべきである。
人に取り大事なことは一番から三番ぐらいまで健全な健康人であること。その後に家族のこと、お金のことがあるように私は思う。その健康を手に入れるためには、余り完全な室内環境を望むのは考え物である。

気密性が悪くて良いと言うことではない。数字というものを絶対視しがちな我々は、「ほどほど」に考えた方が良いと思うという意味で気密性という例でお話した。
住宅を考える場合は細部のデータにはとらわれずに、いろんな意味でのバランスを重視した考え方の方が良い。住宅は人を大きく包む物であるから。


● 設計士の悩み ●

阪神大震災という不幸なことが起きた後、設計士として現場を見に出掛けた。道端に牛乳瓶にさした花などが多くあり、とてもカメラで撮影する気になれず結局1枚も取らずに帰ったが、木造建物の破壊のありさまは私の想像を超え頭がパニック状態になりそうであった。そこで学んだことは多かったが今日は割愛します。
帰りの電車で考えたことは、建物をどの程度の強さにすれば良いかと言うことである。例えば100年に一度の地域的な巨大地震をどう考えるか。建物を強くすることはできるが、費用がかかる。間取りに制約が多くなる。等々。…悩ましい。

ある敷地にマンションや住宅を建てる。その時、その周辺の雰囲気によっては私はその敷地の過去を知ろうとする。工場地帯であればなおさら。随分過去でもメッキ工場などの時代があれば土の汚染の可能性は高い。相当昔であるが、実際そのような経緯で六価クロムに汚染されたことが判明した敷地もあった。そんなことを考えもつかなければ仕事上スムーズにことが運び将来においても問題が判明しないけれども、性格的に疑問は解消したいからしょうがない。例えそのことで仕事が取りやめになっても。…・悩ましい。

設計契約をしても、腕の悪い建設会社を建築主に指定されれば、悲劇的に悩ましい。
私の場合、初回の建設会社には必ず工事中の現場を、なければ竣工した現場を見学に行く。その時、ほぼ腕がある程度わかる。良くないときはこれからの現場監理の日々を思い暗くなる。一度、それぞれの職種の職人達の腕は、問題ないが建設会社が相当によくないことがあったが、毎日が、不安と緊張とストレスの連続で、竣工して2ヶ月程度ほど体調を崩してしまった。その建設会社は、他に比べて相当工事金額が安かったのである。当たり前かも。…・・悩ましい。 それでも設計料は同じ。…・・さらに悩ましい。 その大変な実状を素人である建築主には理解してもらえない、当たり前だが。 …・・さらにさらに悩ましい。

追記:おかしな物で、その建物は相当良い出来で私の作品の中でも最上位に気に入っているし、決して忘れない思いで深い物件である。しかし二度と経験したくない現場監理であった。


[2003.04.17]




私のつぶやき 爽快、爽快


(昼間のジョギング)

ここ数年1〜2回/週、ジョギングをしている。普通は6km程度、調子がよいと12km程度走る。
今日も久しぶりの良い天気なので昼前に出掛けた。20分程準備運動代わりに恩田川まで徒歩、川沿いの道でジョギング開始である。郊外のこのあたりは川の両側に田圃や畑が広がり、今は菜の花が川沿いに咲き懐かしいにおいに子供の頃の情景が頭をよぎる。

そのうち、後ろからドタバタドタバタと足音がし私を追い抜こうとしている輩の気配を感じ、スピードアップしようか一瞬迷う。サッサッサッサッとリズミカルな後ろからの足音には抵抗ないが、ドタバタバタでは。…・・今日は体が重いので同じペースを維持、案の定追い抜いたとたんスピードを緩め左側の橋を渡っていった。
頭のほんの片隅に、「こいつめ、覚えていろ」と思いながら、今日は息絶え絶えに八重桜と葉桜の短な花のトンネルを抜けやっとのことで6km終点に着く。

今日はとても、12kmは走れそうにないが、爽快、爽快。

川沿いの終点から、又徒歩で隣の駅まで、そこから丁度良い下り坂の気分の良い歩道を家まで軽く走る。

気分良く皆様に勝手に報告して、    サァー 仕事!


[2003.04.16]




私のつぶやき リズミカル戯れ言


「尊厳」と「経済効率」

14年前会社を辞めたころ一番心に思った言葉「尊厳」。一番嫌いな言葉「経済効率」
人は、他の人が居るからこそ成り立つ。人はお互いの「尊厳」を尊重すべき。尊厳が保たれないことは相当な苦痛を感じると思う。例えば死を迎えるとき、もしまだ理性が十分あれば自分が人間として「尊厳」を保たれた状態で死を迎えたいと思うのが普通ではないか。例えば障害者の「尊厳」を保つには、ハンディは健常者が受け持ち、同情等は不謹慎であり対等に接する社会であることが必要。
会社にいると経済効率の名のもとに全てが許される傾向があった。会社に所属するのは機械ではなく人間であるのに、人間の感情を無いものとして扱おうとする。全て利益は経済効率から生まれるという金科玉条の思いから。金の利益も大切であるが、気持ちの利益も人間に取っては生きるために大切なもの。


(テレビがない、ない)

高校を卒業し親元から離れてからテレビがない生活が続いている。特に頑張っているわけでなく自然に。見たい番組はあるが、余り必要性は感じない。テレビはすごい機械である。人間の考える脳にとって、目と耳とを同時にハイジャックされると洗脳される可能性が高い。番組制作者は、感動するまたその目的にあった画面を音と共に提供する、専門家が選びに選んだそのような番組を見れば洗脳されやすい。個人が一個の存在を確立するためには、やはり自分有りの考えが必要である。そのためには、自分で考えることが必要。ラジオや写真は、耳か目のどちらかがフリーである。この程度が丁度良いのではないか。そんなことを考えてテレビが無いのではない、ごく自然に無いのである。


(建築が好き)

建築設計が好きな理由。一人で多くのことを出来るから。真っ白いキャンバスにその時、その時の気分で、その時の自分のポリシーで形を造っていけるから。
建築設計が好きな理由。人と理解し合いながら創っていけるから。
建築設計で困ること。金がない。


(抹茶茶碗)

抹茶はたまに飲む。それも行儀悪く立ったまま茶筅で「のの字」を書く。抹茶茶碗は、萩焼がよい。楽は少し上品すぎる手触りも透明。萩はその点丁度良い。唐津は少し田舎臭すぎる。(ゴメン) 萩は丁度良い上品な田舎臭さがある。でも黒楽と抹茶の色のコントラストは絶品。むむむ!!!。ちなみに山口うまれ。


[2003.04.15]




私のつぶやき イラク問題と若者へ


(イラク問題に寄せて その2)

このイラク戦争は中近東石油産国が限りある石油のある間に、いかに先進国のような国力(主に経済力)を得、世界的に地位を占めていくかということと、石油という基本エネルギーで成立している産業構造が基盤の先進国が、いかに石油のその量と価格を安定的に維持するかのせめぎ合いの中でおこり、政治的敗北の結果が戦争という手段に向かったと理解している。

そのことを思うとき政治の大切さを痛感する。

政治的敗北の結果の戦争は、過去の歴史でも一般的に起こっていると思うが、これだけ政治的に解決できうるための環境がそろいつつある現在においてもなかなか難しいようである。人間世界の中で戦争が避けられない手段としてあったとしても、この現代において戦争という手段しか執り得なかった指導者を、戦争の勝利者であったとしても、その勝利により経済的に我々が安定する要素が確保できたとしても評価すべきではないと思う。それと共に、その結果を享受できる我々が政治的に解決するための努力が報われなかったことも反省すべきだとは思う。

今回のことで、日本にとりインドネシアの重要性を再度感じる。交通(輸送)手段、情報がこんなに発達した世界で、孤立的には生きてゆけない以上、政治の重要性は非常に高い。
小さな国がその政治力を付けるためには、ある程度の自給自足体制を維持することも大切なように思う。


新聞紙面がイラク問題で占められ、こちらの頭もそのようになってしまいました。
話題方向の角度を変えます。

(若者へ その1) 

先日、大学4年生の若者から当方へ積極的なアプローチをいただきました。とてもうれしいことです。

経営的な建築家、有名な建築家を目指す、組織を背にした建築を目指す、建築を彫刻と見立てた建築を目指す、職人的な建築家を目指す、環境を考え不必要な建物は建てない世の中を目指す建築だって目指す方向性としてはあると思う。
その他、建築は人を大きく包む物である以上、純粋な芸術とはなりにくく、いろいろなアプローチがあると思う。若いときに自分の適正はなかなかわからない、私さえ今の自分が自分の適正の結果であるという確信などもちろんない。…・・時と運か?

ただ、言えることは、チャンスを受信できる力、行動力、チャンスをいかす力、行動力を常につける努力を怠らないことが大切とは思う。一生チャンスが来なかったとしても。成功したとは言えない私が反省を込めて言える言葉です。次のチャンスをあきらめてはまだいません。

建築に対する才能がある人はさておき、普通の人でもある程度は訓練でなんとかなります。一つの例として私の大学時代、物を三次元的に頭の中に描ける人は少数のように思いました。私も2次元の世界でした。建設会社に入り、毎日、電車の中などで三次元想像をしていたことを思い出します。図面を書き、三次元的に一生懸命想像し、できた建物で確認するという作業です。30年たった今、平面を三次元的に頭に立ち上げ部屋から部屋へ無限点の取れるパースのように、頭の中で行き来することができるようになりました。ただそんなに正確なものではありませんが。

訓練も大事ですが、実物を観、さわることも大事だと思います。例えば石、人間は目で厚い石、薄い石の区別がある程度つきます。おそらく石から来る人間の目に入る反射光のかげんや廻りの状況により判断しているものと思います。赤ちゃんには判断が無理で、この厚みの石はこの程度の反射光が入ってくる、廻りに様子はこうだという自然に行ってきた訓練の結果が脳に残りそうさせるのだと思います。
少し違うかも知れませんが、インターネット等で初期情報を得るにしても、その情報はある人の加工を経た情報のはずですから、必要なもので確認可能なものであれば、極力実物で自分なりに確認していくことも大切と思います。その手間と時間の確保が大変で私自身余りしていないのが実状ですが。

今から、いろいろなことができる若者をうらやましいと思いながら…・。


[2003.04.14]




私のつぶやき 時事編 その1


(イラク問題に寄せて)

私の家には昔からTVはありませんでした。今は2年ほど前に非常時用として画面が10cm×7cm程度のビデオ可能なTVを購入し、必要なときに観ています。

今回の悲しいイラク戦争についての評論はここではしませんが、思うに付け、考え方を主張できるだけの「国としての民力」を付けて行くべきだとつくづく思いました。アメリカは非常に大事な国であることは疑問の余地はありませんが、表だって何も言えないことは将来への大きな損失です。

アメリカ、中国と文明(定義はさておき)が生まれるだけの力のある大きな国に挟まれ、世界の中心国家とはなりづらいこの国にとって独立的な「尊厳」を保つことは非常に至難のこととは思います。ヨーロッパのように廻りに先進国が多い状態でもなく、又、世界大戦の感情的な後遺症が拭えていない孤独な状態さえ感じるようではなおさらです。

アメリカ依存の中での「尊厳」ではなく、独立的「尊厳」を得るために、数十年から1世紀ぐらいの時間を掛けても成し遂げ、政治家が表だって考え方が言えるだけの民力をつけるべきです。具体的な話はここでは省略しますが、それにしても、国と国の戦争であれほど勝利者の方の損害が少ない戦争が現在の戦争と言うことであれば、ちょっとやそっとの軍事力ぐらいでは戦争の歯止めにならない(効果ある軍事力を維持するだけで国は破綻してしまいます。)ということです。考えてしまいます。

いつか独立的「尊厳」がもてる国になり、又、それを得るためにおろかな戦争をしないで済むように祈りながら。……。


[2003.04.11]




私のつぶやき 住宅編その1


(創る住宅、商品としての住宅)

商品として住宅は余りにも高額であり、又、人の生活に少なからず影響を及ぼす、一つとして同じ物がない特殊な物である。しかしながら、その需要の多さで「車」の延長線上の商品としてある時期から考えられもした。

その最先端を行くのが、住宅メーカーである。展示場があり、性能データもしっかりしていて、部品部材も相当検討された物が使用され、見積もりの仕方も建築主には理解しやすい(?)し、戸建住宅においてこれほど、どのような住宅ができるか想像しやすく、又、できた物が想像した物より余りかけ離れていない住宅供給システムはない。その上、最先端の考え方や、流行のシステム(外観、設備等)や部品部材を盛り込んでくれて、全く車と同じような購買衝動を喚起してくれる。又、大きな会社が多く、安心である。

しかし、満足されない人達もいる。

なぜであろう。住宅を、ただ、雨風をしのぎ、「感情的なことも含めた外敵」から身を守る器であるとの考え方が強ければ、住宅メーカーの提供する物は、性能的にも安定していて当たり外れがなくお薦めである。

一方、住宅という物に、自分たちの考え方、生き方、家族のあり方を集大成し、その結果を住宅に生かすのであれば住宅メーカーの既製品に近い商品住宅では満足できないはずである。私は、設計者としてこのような需要に満足していただける住宅設計者を目指したい。そのため、建築主、その家族の生き方、考え方、あり方を肌で感じ、又、一緒に追求していくために、私自身にそれを受け止めるだけの器量や魅力は当然必要であり、それを磨くことが非常に大切と思っている。すなわち、住宅は住む人が主体の箱であるとの考え方に近い。

住宅を人生の成果物と考える考え方もある。それなりの成功を修め、それなりの立派な住宅を建てるという考え方である。この場合も住宅メーカーでは満足できない場合が多い。この方は、デザイン鑑賞力も高く、設計者側も相当なハイレベルの対応が必要となる場合も多いと思われる。

又、住宅を「車」の延長線上の商品と考えた場合は、設計者と一緒に創っていくというより、何種類かの選択肢を提案してもらい、その中から一番希望にあう物を選んでいく方法を採りたくなる。

他にも人によって、いろいろな考え方があると思うが、どの考え方がその人にとって強いかは微妙であり、混然としていると思う。住宅メーカーに依頼し、展示場見学、何回か打ち合わせをした時に、自分にしっくりこない場合は、住宅メーカーではなく、他の方法を模索することをお薦めします。

他の方法、建設会社、工務店、設計事務所等の話は次回に書きたいと思います。

ところで、私は、ある建設会社のプレハブ住宅の開発部門に、相当長く在籍していました。独立開業して14年になりますが、その両方の経験を踏まえ提起していきたいと思います。


[2003.04.10]


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